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 ミヒャエルの祝祭を精神から創る〜内なる人の謎

1923年5月23日

ベルリン

 

 きょう、ここで取り上げることも、この方のアントロポゾフィーについての話と同じく、先だっての大晦日、わたしたちの事柄と、わたしたちの協会をみまった、痛ましい出来事からの響きを、もとに湛えての話です。ドルナッハのゲーテアヌムが、いまはもう、ありません。先だっての大晦日、炎によって潰えました。一夜のうちに、十年におよぶ仕事が、台無しになりました。多くの友が身を捧げてきた仕事です。その仕事から、そしてゲーテアヌムがあるということから、ゲーテアヌムに、ひとかたならず、こころを寄せてきた誰もが、こう思うことでしょう。アントロポゾフィーの働きの外なる標が、もうないのだと。そしてまた、そうあってほしいものですが、なんらかの建物が、わたしたちの事柄のために、同じ所に立とうとも、あのようなゲーテアヌムは、この困難な時局においては、立ちようがありません。そもそも、あの日からお話してきたことということの後ろに、あのおぞましくたぎる炎が立ちはだかります。あの炎は、そうまでこころを引き裂きながら、わたしたちの事柄全体の発展にかかわって及びました。わたしたちは、外なる標が失せたぶん、アントロポゾフィーの運動の、もってまた人類の発展全体にとってのことの、内なる力と内なるリアリティーをとらえることに尽くしましょう。きょうも、まずは人というものを見てとることから始めます。これまでも、この場で、度重ねてしてきたとおり、きょうも、それなりひとつの観点から見てとります。

 

 まず、この世に生まれでてくる人、生まれる前のありようから降りながら、この地を歩みはじめる人を、見てとることから始めましょう。知ってのとおり、そう、この地において生きることへと踏み込みつつある頃に、わたしたちのこころを領するありようには、人の繰り返し眠って生きるありようと、どこかしら似かようところがあります。普段の意識は、こころと精神が眠りから目覚めまでに経るところを、目覚めて想い起こすことができません。ただ、夢のよりどりみどりは、その限りでありません。しかし、知ってのとおり、夢は、深い眠りをもって、また目覚めをもって、立ち消えます。夢は、普段の意識にとって、深い眠りからは、やってきません。すなわち、普段の意識は、眠りのありようを、想い起こしません。同じく、その意識が、この世において生きることについて、想い起こすのも、子どもの頃のあるところまでです。その時点が、ある人には早く、ある人には遅くやってきます。その時点の先にあるところは、普段の意識にとって、眠りのありようにおいて出来することごとと同じく、埋もれたままです。確かに、子どもは、しんそこ眠っているわけではありません。子どもは、夢のような、定かではない、内なる働きのうちにあります。しかし、そのありようは、後に生きることに比べて、少なくとも夢に満ちた眠りに、さほど遠くはありません。

 

 さて、その頃に、三つの働きが及んできます。子どもが学ぶ三つのことです。普段には、歩くようになるということをもって括られること、それから、話すようになるということと、そして、考えるようになるということと、ひとつに繋がってあることです。さて、歩くようになるということは、ことの複雑さからするなら、ずいぶんとはしょった、言い易さからする言い方です。次のことを考えてみるだけで分かります。子どもが、まず、まるまる不器用な体で生まれてきます。そこからだんだんに、身の釣り合いをとりながら、空間に折り合うことを学びとります。そして生涯を通して、この空間を動くことになります。わたしたちが子どもに目をそそいで目にするのは、ただ歩くようになるというだけでなく、この世において生きることの釣り合いを探りだすということです。そして、歩くようになることは、動く手足を用いるということと、繋がってひとつのことでもあります。そうした事柄に向けて、ふさわしく観る力をもちあわせる人には、歩くようになることにおいて、目を見はるべき大きな生の謎が、あらわになります。いわば、ひとつの世が、あらわになります。子どもが、はいはいから立ちあがり、小さな足を踏みだすようになる、その様子においてです。そもそも、頭を起こし、手や足を用いるようになる、そのいちいちの様子においてです。さらにまた、この子は爪先がちで歩き、この子は踵がちで歩くといったことを、親しく見やる人なら、まさにきょう、いうところの三つの働きと、その精神の世とのかかわりを巡って話すことについて、なにがしかの予感をもちあわせましょう。まずは、もうすこし、その三つの働きを、外側から述べてみます。

 

 釣り合いを探りだすこと、やや知識人風の、やや鼻にかけた言い方をするなら、生のダイナミズムを探りあてることがもとになって、話すようになるということが、こととなります。よく見ることのできる人なら、つまびらかに知っているとおり、子どもが普通に育つにおいて、話すようになることは、歩くようになり、掴むようになることが基になって捗ります。話すようになることについて、まず、こういうことが認められるでしょう。足の踏み込みがしっかりしているか、あるいは軽いかが、話す拍子、音節の加減、言語の力においても表れます。さらに認められようところ、語から語への移りゆき、語と語の続きゆきが、指の結び開きの上手下手に、どこかしら応じあいます。しかしまた、人の生きた身の、まさに内を見ることのできる人なら、こういうことも知ることができるでしょう。いまの進化論も認めるところ、右利きの人が、左の第三頭回、いわゆるブローカの頭回に、運動性の言語中枢をもちます。そのことも、ひとえに生理のこととしてではありますが、いうところの言語と掴む力のかかわり、言語と――冗語を使わせてもらいますが――手をお手のものにする力のかかわりを、それなりにとらえています。それもさることながら、こういうことも知られます。声帯の動き、身における言語の生きた織りなしは、歩く、掴むといった動きと、まったく同じ質の動きです。はたして、子どもが普通に育つにおいて、話すということは、周りをまねることにおいて捗りますし、まず、釣り合いを探りだすことが基になくては、いささかも捗りません。

 

 そして、考えるということです。脳という細やかな器官、考えるということの基にあるその器官は、言語の生きたなりたちから、ふたたび発達します。普通に育つにおいて、考えることが、話すことの前に繰り出すとは、信じてほしくないものです。しっかり見る人なら、こういうことを見いだすでしょう。言語は、さしずめ、考えを表すものではありません。そうだと信じていたら、笑いものでしょう。言語は、子どもにあって、感じること、感覚すること、こころの生きることを表すものです。だからこそ、こういうことも見てとられます。子どものことばは、いわば感嘆語です。感覚という感覚、それが、子どもがまず言語によって表すところです。ママ、パパというのも、ママ、パパへの情を言います。概念とか考えを言うのではありません。考えるということは、まず言語から繰りだされます。尤も、人においては、いろいろとずれが生じるものです。この子は歩く前から話したというようなケースも出てきます。しかし、それは普通に育つのとは異なります。そして、育てるにおいては、どこまでも普通に育つことの順序が保てるように、こころを用いたいものです。すなわち、歩く、話す、考えるです。

 

 しかし、その三つの働きが、実にどういう働きであるかは、人の生きることのもうひとつの側、つまり、その三つの働きが、大人の生きることにあって、夢みつつの眠りのうちにある、そのありようを、見るにおいて、いよいよ確かに覚えられます。そもそも、その三つの働きは、眠りから出てきます。少なくても、先に言うとおり、子どもの夢みつつの眠りから出てきます。さて、その三つの働きは、大人の生きることにあって、いかがでしょうか。

 

 およそいまの科学の発想をしていては、当のことに分けいることはできません。いまの科学は、そもそも人というものの外側を知るきりです。人と世というものとの内なるかかわりを、知りません。人と、精神である限りでの世というものとのかかわりを、知りません。人類の文明――ということばを使わせてもらいます――もしくは人類の文化は、あらゆる分野にわたって、いわば物質主義、自然主義になりきたりました。なにも物質主義をけなそうというのではありません。かりに、物質主義がでてこなかったとしたら、人が自由になってはいなかったはずです。物質主義は、人類の進化の必然的なひとこまです。しかし、いまは、わたしたちが、どんな道を歩んできて、どんな道を歩んでゆくのかにつき、きっと明らかに知るようになる時です。しかも、あらゆる分野においてです。より具体的であるように、そのことを、ひとつの例に沿って述べましょう。

 

 誰しも知ってのとおり、また、わたしの本からも知られるとおり、この地における人類が、いまの文化に半ば似かよう文化として、古いインド、ペルシャ、エジプト・カルディア、ギリシャ・ラテン、そしてわたしたちのと、各文化エポックを経るまえに、いわゆるアトランティスの破局を経ています。いま、ヨーロッパ、アジア、アメリカの各文化をもつ人類が、アトランティスの破局がつづくあいだは、ほとんどがひとつの大陸に住んでいました。いまでは、そこが海であり、アトランティック・オーシャン(大西洋)です。かつては、そこがそもそもの陸地であり、人類が、はるかなむかし、そのアトランティスの陸地において発展しました。その発展の経緯は、これまた、わたしの書や講演録において読んでいただけます。

 

 さて、古いアトランティスの時代において人類が生きたことごとのうち、他でもありません、音楽において生きたことについて話します。アトランティスの人の音楽を、かりにですが、いまの人がきいたとすると、なんともみょうにきこえましょう。アトランティスの人が音楽に求めたのは、たとえば七度の和音でした。七度の和音は、アトランティスの人にとって、ことさらな響きでした。その七度の和音をひきたてた音楽に、こころが、生きて動くや、からだを脱けだしました。ちなみに、わたしたちの誰であれ、そういうからだにおいて生きたことがあります。この地において生きることを繰り返すうちに、その時代もみずからで経てきています。アトランティスの人が音楽において知る心地は、からだからの脱けだし、舞い上がり、神との交わりです。はなはだ簡単な楽器が――たんに歌の伴奏の楽器でした――鳴りひびくや、こころは精神における外の世を、舞いながら生きました。

 

 さて、アトランティスの破局が来ます。アトランティスの後の人には、おしなべてまず五度の進行を好むこころが育ちました。このことも知ってのとおりでしょうが、五度は、永きにおよんで、音楽の発展に大きな役割を演じてきました。たとえば、むかしのギリシャにおいてもなお、五度は、大きな役割を演じていました。五度の進行を好むこころには、こういうことさらなところがありました。人が、音楽において生きつつ、なるほど、もう、からだの外にいるとは感じませんでしたが、しかし、からだの内において、みずからを、こころと精神として感じました。人が、音楽的に生きるにおいて、物質において生きることを、すっかり忘れました。いわば、みずからを膚の内において感じながら、膚の内が、こころと精神ですっかり満たされました。それが、音楽の作用でした。こう思う人は、いたって僅かでしょうが、それでも、ほとんど十世紀、十一世紀までもなお、自ずからなる音楽は、そういう音楽でした。そもそも、長三度、短三度、長調、短調に見合う、人の才覚が、出てきたのは、それからです。それは、割に遅くやってきましたが、しかし、そう遅くやってきたことをもって、音楽というものを内に生きることが、こととしてつくられました。いまや、人が、人に留まって、音楽というものを生きました。文化が精神のものから物質のものへと降りてきたように、人が、音楽において、かつてのように舞い上がり、外に精神のものを生きることから、音楽というものを内に生きようと努めました。膚の内どころか、まったく内においてです。そのようにして、長調、短調の心地も起こりました。そもそも、その心地が起こりうるのは、人が、音楽というものを、内に生きるにおいてです。

 

 そう、人は、精神から物質へと降りてきながら、人となってきました。それは、あらゆる分野において、追って確かめられます。物質主義はだめだとか、物質主義から抜け出せとか、しかつめらしく、ひとつ憶えのようには言っていられません。人が、物質において生きることをとらえるまでに降りてこなかったなら、しっかり人となってもいなかったはずです。まさに人が、精神というものを、物質というものにおいてとらえることによってこそ、人が、人みずからを意識する、自由な「わたし」というものになりました。そして、いま、わたしたちは、アントロポゾフィーの方向をとる精神科学の扶けをもって、ふたたび精神の世への道を見いだすべく見いだします。あらゆる分野におい見いだすべく見いだします。だからこそ痛手です、ドルナッハをもってなされた芸術の試みが、消失してしまったのは。いまは、まさにあらゆる分野において、精神への道が求められるべく求められます。

 

 さて、子どもが習うことのひとつ、言語の働きを見てとります。それを、人が育つということのまるごとに重ね合わせながら見てとります。きっと、こういうことが言えます。子どもが、それをもって習うことは、はなはだ大いなることです。たとえばドイツの詩人、ジャン・パウルは言います。人が、初めの三年に――すなわち歩き、話し、考えるようになるあいだに――学ぶところは、大学の三年のあいだに学ぶところを、はるかに上回ります。大学の三年間も、このところ盛りだくさんになりましたが、それでもまだ幼い砌の三年間に学ぶところには敵いません。さて、話すということを見てとります。話すということのうちに、まず物理、生理のことがあります。喉と、そしてさらに広く、言語の器官が、動きます。それが、空気を動かします。空気が、声を伝えます。それらのことにおいて、わたしたちは、いわば外のこと、物理、生理のことに迫ります。話すことのうちには、さらにまたこころがあります。わたしたちが、わたしたちから音韻として発するところに、こころが通い、たぎりもします。言語が物質のものをもちだす限りにおいて、人の物質のなりたちとエーテルのなりたちとがかかわります。その二つのなりたちは、人が眠るにおいて、黙ります。すなわち、人は、眠ってから目覚めるまで、話さないのが普通です。しかし、話すということに、こころと「わたし」がかかわる限りにおいて、眠りにおいて、こころと「わたし」、アストラールのなりたちと「わたし」が、物質のなりたちとエーテルのなりたちを出ながら、こころの力である話す力を伴に携え、もってまた人が昼のあいだ、こころのこととして話すことのうちに据えたところをも伴に携えます。わたしたちは、夜ごと、昼とは異なる人です。そもそも、わたしたちは、昼において、話しつつ、ことをなします。ある人は、少なく、ある人は、多く、また、ある人は、多すぎ、ある人は、少なすぎ、いずれにしても、わたしたちは、日がな一日、話しつつ、ことをなし、わたしたちのこころを、言語のうちに据えます。そして、わたしたちは、言語のうちに据えたところを、眠るにおいて携えます。それが、眠りから目覚めまでのあいだ、わたしたちというものでありつづけます。

 

 わたしたちの、まさに物質主義の時代にあっては、言語において理想主義もしくは精神主義が表れうるということが、予感だにされていなかったりします。むしろ、言語は、外のもの、手で掴めるものを表すというのが、あまたの人の抱く、せいいっぱいの思いでしょう。人が、言語において、理想を表しうる、ということについての感覚は、あまたの人から、すっかり失せました。だから、精神についての話も、あまたの人にとっては、だいたいが、わけのわからない話です。いったい、あまたの人が、精神についての話をきいて、どう言うでしょうか。どうせ、ことばでの話しだろう、とかです。しかも、そのことばについて、あまたの人が知っているのは、ただ、ことばが手で掴めるもの、目に見えるものを表すということのみです。ことばが、目には見えないところをも、それなりに指し示すということは、あまたの人の意にそぐいません。そして、それも、ひとつ、人が、言語に対して立つ、立ちようでありえます。しかし、もうひとつ、その立ちようが、ありえます。すなわち、人が、はや、ことばにおいて、はや、言語において、みずからが理想主義に連なることを、ふたたび見いだします。そして、ことばということばにおいて、こころの生きること、精神の生きることが、それなりに響きかうことを、人が知っているようになります。

 

 さて、言語の物質主義につかりきった、ひとりが、眠りをもって精神の世に携えてゆくところは、天使の世とのかかわりを難しくします。そのひとりが、夜ごと、眠りから目覚めまでのあいだに、やってゆく先のアルカンゲロイ(大天使)の世とのかかわりをです。かたや、言語の理想主義を見まもり、言語において言語の賢い精神が生きることを知っている、ひとりが、アルカンゲロイの位と、しかるべくかかわりあいます。わけても、そのひとりが、世において、眠りから目覚めまでのあいだに属している、アルカンゲロイと、です。そして、そのことにしても、外なる世の現れにおいて表れます。

 

 はたして、あまたの人が、いま、かたくななまでに、国の言語との、うわべのかかわりを求めるのはなぜでしょうか。はたして、そうした大きな禍が――ウッドロウ・ウィルソンは、それを幸いだと言いますが、おかしな幻想家がいたものです――そうした大きな禍が、ヨーロッパをおおったのは、なぜでしょうか。すなわち、自由ということが、ちっぽけな、国の言語を、かたくなに掴もうとすることと、繋がってひとつであるのは、どうしてでしょうか。実に、あまたの人が、もはや精神のものにおいてもつことのできないかかわりを、外において、かたくなに求めるからです。そもそも、眠りながら、言語との自ずからなかかわりを、よってまたアルカンゲロイとの自ずからなかかわりを、もはやもてないからです。人類が、きっと、ふたたび、みずからで、言語というものに理想主義が通うことを、見いだすのは、精神への道を失うまいとしてこそです。

 

 いったい、ひとりひとりをもって眠りから目覚めまでに捗ることにつき、いまの人は、いかに意を致すでしょうか。あまたの人が、その眠りのありようを、いささかも意に介しません。生きることを顧みて迎えるところを、それとしてまとまりをもった生きることの相だと、信じています。しかし、それは、まことではありません。眠る間という間が抜け落ちています。まるごとが、とびとびに途切れています。わたしたちは、なるほど翌朝を昨晩に継ぎはしますが、しかし、その間には、しっかり夜があります。夜、眠る間というのは、まずひとつに、外のこととして、人生の三分の一を占めます。少なくても「堅気の人」にとっては、そうです。そして、ふたつに、それは、人の内というものにとって、日がな一日、外の側ですることよりも、はるかに重きをなします。確かに、外の側ですることが、外の側の文化にとっては、より重きをなします。しかし、生きるあいだにおける、わたしたちの内のつくりが、つくりとしてなりたつのは、わたしたちが、夜の眠りの時において、ふさわしく、精神の世とのかかわりへと行き着くことによってこそです。

 

 そして、他の二つの働きの基にあることをもっても、同じです。人が、みずからの振る舞い――この地において生きることへと踏み込みながら、まずはじめに習う動きという動きによってすることです――人が、振る舞いという振る舞いに、理想主義を据えるなら、すなわち、みずからの生きることが、理想主義を、みずからなりに実現することを含むならば、人が、ふたたび、アルカイ(権天使)の位との、ふさわしいかかわりあいを、見いだします。そして、考えによって、すなわち、考えが理想主義を含むなら、考えが物質主義の考えでないのなら、人が、夜に眠りながら、アンゲロイ(天使)の位とのかかわりあいを、見いだします。それが、要です。アントロポゾーフィッシュに、精神科学的に、幼い砌に身につける三つの働きと夜の眠りとのかかわりを、探ることにおける要です。しかし、そのかかわりが、さらに大いなる程において、開かれもします。すなわち、コスモスにおける人の生きることのまるごとを見やるにおいてです。

 

 わたしの「テオゾフィー」に著すところは、知ってのとおりでしょう。人が死の門を経てから、まず数日のあいだに経るありようは、考えと想いが去り行くありようです。それを、こう言い表すこともできます。すなわち、エーテルのなりたちが、かなたへと広がります。人が、みずからのエーテルのなりたちを失います。しかし、そのことが、人の想いと考えが去り行くことです。しかし、そもそも、どういうことでしょうか、想いと考えが去り行くというのは。すなわち、そもそもにおいて、すこぶる多くを言います。すなわち、わたしたちの目覚めて生きることのまるごとが、わたしたちから去り行くということです。わたしたちの目覚めて生きることのまるごとが、二、三日のあいだに、去り行きます。そして、後には、なにも残らないことになるでしょう、もしも、わたしたちが、この地において生きるあいだに意識しないでいるところを、さらに生きることがないとすればです。もしも、わたしたちが、眠って生きるあいだに経ているところを、すっかり意識して生きはじめるということが、ないとすればです。すなわち、その眠って生きることが、精神のこととして、果てしなく、昼の目覚めて生きることよりも、たわわで強いものです。その眠って生きることが――よし、短く眠るのであれ、長く眠るのであれ――そのつど、昼に生きたことを逆向きに繰り返すことです。しかも、精神の力添えをもってです。人が、昼のあいだ、振る舞いとして、経てきたところが、人を、夜のあいだ、アルカイ、元の力とのかかわりに据えます。人が、話す人として、昼に経てきたところが、人を、夜において、アルカンゲロイ、大天使というものとのかかわりに据えます。そして、人が、考える人として、経たところが、人を、その人の天使というもの、アンゲロイとのかかわりに据えます。そのかかわりにおいて人の経るところは、また時にも左右されません。なにかのせいで、寝苦しくて、目が覚めたら、生き返すことをしおおせていないのでは、といった気遣いは要りません。それでも、すっかり、しおおせています。時のありようが異なるからです。折り目正しく眠るにおいて何時間かかかることが、時には一瞬のうちに経られもします。眠って生きることにおける時のありようが、まるきり異なります。よって、こう言えますし、きっと、こう言わなければなりません。人が、眠るそのたびに、物質の世において目覚めから眠りまでに生きたことを、逆向きに、いまひとたび、精神の形において生きます。そして、人が、死の後、数日にして、目覚めて生きる想いを、コスモスへと失ってから、人生の三分の一、眠りにおいて経てきたところを、生きます。だからこそ、わたしは、おりにふれて、そのことのいかなるかを述べます。人が、この地において生きることの三分の一を要して、やがて、夜ごとに経てきたことを、生きます。夜ごとに経てきたところは、自ずからながら、昼に生きたところと似かよいます。しかし、それを経るということの趣が異なります。そして、人が、死の後の二番目のありようとして、その逆に行くということを、生きます。生きたことのまるごとを、三分の一の時において、いまひとたび、生まれた時にまで、経てゆきます。そして、生まれた時へと、ふたたび行き着き、そして、また、こういうありようのうちに生きるようになります。すでに、この場においても、別の脈絡でお話したとおり、世を観るということが、すっかり変わってなされるありようです。

 

 見てのとおり、わたしたちは、ここ、この地において、この地の定かな一点におります。周りが、世です。わたしたちが、わたしたちを、普段の意識において知っているのは、すこぶる僅かなものです。わたしたちは、世を、外側の感覚器官をもって観て、その世を知っています。いや、解剖学者なら、人の内を、よく知っているではないか、と言われるかもしれませんが、違います。解剖学者が知ってるのも、人の内の外側のみです。実の内というのは、それと異なります。たとえば、なにか、十年前のことを想い出すとします。想い出において、こころの内にあるところが抱かれます。そこには、もろもろが詰まっています。はなはだ広がりのあることが、ほんの束に想い出されもします。しかし、そこには、この地において生きて経てきたことの、こころにおける相があるきりです。さらに内へと踏み込みます。想い出のうちにでなく、みずからの、物質における生きた織りなし、というより見かけとして物質における生きた織りなしと見えるところへとです。みごとな脳の構え、みごとな肺の構えに、意を注いでみます。そこに幾重にも織りなされて生きるのは、この地において生きたことごとではありません。そこに幾重にも織りなされてあるのは、コスモスのまるごと、世のまるごとです。人は、実に、ひとつの小さな世、ひとつのミクロコスモスです。人の器官において織りなされてあるのは、世のまるごとです。しかし、人は、それを、普段の意識をもっては、知っていません。人が、この地に立つにおいて、生きたことの想い出を抱きます。その人が、物質における人というものをもって、コスモスのまるごとの、肉を受けた想い出であることを、人は知っていません。

 

 さて、いうところの逆に辿りゆくことを、しおおせると、死から新たに生まれるまでのあいだの、いわば、世とともに生きることへと、さしかかります。世が、山も、雲も、星も、海も、わたしたちの周りにではなく、内なる人の謎が、周りとなります。内なる人の秘密、わたしたちが、この地に生きるにおいては、潜んでいるすべてが、わたしたちの周りとなります。ここ、この地において、わたしたちは、確かに膚のうちに生き、星や、雲や、山、石、獣、草木のことを、知っています。死から新たに生まれるまでのあいだ、わたしたちは、人のことを知っています。人の秘密のすべてが、わたしたちの周りです。だったら、この地での周りよりも、つまらないだろうとは、思ってほしくありません。確かに、星々のきらめく空は、みごとです。山も、海も、大いさを湛えます。しかし、いわばひとつの小さな器に盛られてある人の内なるところは、さらに大きく、力強く、それを、そのみごとな大いさにおいて、わたしたちは、死から新たに生まれるまでのあいだ、周りにもちます。わたしたちの周りであるところとしてです。死から新たに生まれるまでのあいだは、人が、世です。そして、きっと、人が、世であればこそ、次の、この地で生きることを備えます。わたしたちは、そこにあって、上の位のものたちとともに、やがての、この地の人を、備えます。わたしたちが、ここ、この地において、外側の文化、文明に、こころを用い、長靴をつくり、上着をつくろい、電話を使い、床屋を営み、講演をもち、芸術をし、などなど、いまの文明に属するありとあらゆることをするように、死から新たに生まれるまでのあいだ、上の位のものたちとともに、人であるところをつくり、ふたたびこの地において、物質のなりたちとして、みずからで生きてなるところを、つくります。それが、精神の文化目標です。その力強いこと、果てしなく力強く、大いなること、この地の文化目標をはるかに凌ぎます。むかしの人が、物質の人のなりたちを、神々の社と呼んだのも、故のないことではありません。神々とともに、上の位のものたちとともに、人の物質のなりたちが、死から新たに生まれるまでのあいだに、かたどられます。それが、働きです。わたしたちは、わたしたちの「わたし」をもって、上の位のものたちと交わり、人であることについて仕事をします。上の位のものたちと伴にです。わたしたちは、いわば、上の位のものたちのあいだを巡り歩きます。すなわち、精神に立ちまじる精神です。

 

 ただし、わたしたちが、そこにおいてすることは、この地において、生きて、なしとげたことの程に応じてこそ、なされます。そして、それもそれなりに、眠りと目覚めのかかわりにおいて、あらわです。ひとたび、こういうことを考えてみましょう。夢というのは、ずいぶん混沌としています。わたしとて、夢のきらびやかさ、大いさを認めないわけではありません。しかし、きっと明らかでしょう。夢は、この地において生きることの相をまといながら、この地において生きることに引き合わせると、混沌としています。前の話で引き合いに出した夢にしても、いかがでしょうか。例のフォルケルトの夢の話です。ヴュルテンブルクに伝わる話によったものですが、その種の夢は、誰しも知るところでしょう。とある町の内儀さんが、田舎の牧師に嫁いだ妹を訪ねたおりに、夢をみます。妹と連れ立って、教会にやってくる。ところが、どうも勝手が違う。聖書の読みがおえると、牧師が教檀にのぼり、説教をするのかと思うと、腕のかわりに翼をかざし、あげくに鶏よろしく鬨の声をあげます。また、ある内儀さんの夢ですが、亭主になにか美味いものをつくってやろうと思うものの、なにを拵えたらいいか、いっこうに浮かんでこない。やがて、はたと思いつきます。そうだ、上の物置に、塩漬けのお婆さんがあったんだ。でも、あれはまだよく漬かっていないし。そのとおり、夢は混沌としています。奇妙に混沌としています。しかし、夢が、そう混沌としているということは、そもそもにおいて、どういうことでしょうか。

 

 わたしたちは、眠るあいだ、「わたし」とアストラールのなりたちをもって、物質のなりたちとエーテルのなりたちとの外にいます。しかし、そこでは、逆に生きます。昼において行い、話し、考えたすべてを、ことに道徳の意味合いを湛えて、逆に生きます。次の、この地において生きることに向けて、カルマを備えます。そして、それが、相において、はや眠りと目覚めのあいだに現れます。しかし、その相は、なお、はなはだ不器用な体であるものです。そもそも、わたしたちが目覚めるべく物質のなりたちへと戻るにおいて、その相は、まだ、ふさわしく適ってはいません。わたしたちは、マクロコスモスに沿って想うことが、できません。かわりに、まったくの別物を想っているものです。たとえば塩漬けのお婆さんとか。つまり、わたしたちが、すでに培ったところをもっては、物質の人のなりたちに適うすべを知らないからです。そして、物質の人のなりたちに適うということは、はてしなく難しいことです。わたしたちが、そのことをこととするのは、さきに言うとおり、死から新たに生まれるまで、上の位のものたちと伴にする仕事においてです。内の、こころであり、精神であるもが、夢では不器用に降りてきても、それを、ふたたび整えます。すなわち、眠りの意識のまるごとが、ふたたび凌がれるにおいてであり、人が、その人のすることを交えずに、その人のかつての物質のなりたちへと、ふたたび降りるにおいてです。

 

 その、こころであり精神であるものが、死から新たに生まれるまでのあいだ、からだであるものの秘密を、ことごとく見ぬきます。からだが、ふさわしく構えられるようにです。そもそも、からだが構えられるのは、父母や祖父母の方からばかりではありません。そうとばかり信じるのは、科学の虚妄というものです。まさにそう言っても許されるでしょう。そもそも、科学は、人のなることを、どのように想い描くでしょうか。科学は、こう言います。物質のもとに、分子がある。分子は、原子の複雑な組み合せである。卵細胞に含まれる蛋白質分子は、このうえなく複雑な分子である。――尤もながら、その複雑さを、しかじかだと述べることは、科学者にもできません。はたして、科学者は、おおよその複雑をとやこうしています――そして、複雑である故に、そこから、人が生まれでてくる。これは、人を説き明かすのに、最も単純な説き明かしでしょう。なにせ、こう言っています。人のまるごとが、すでにその中に潜んでいる。それは、それほど複雑な組み合わせの分子である。まことは、しかし、こうです。人が生まれでてくるのは、蛋白質分子が混沌に帰すことからです。無秩序な物質となり、塵となることからです。たとえば結晶や草木として、秩序のある物質があります。そして、草木や獣、とにかくなにかが生じるにおいては、きっと、まず物質がすっかり塵に帰します。そして、物質が、ひとつの定かな形をとらなくなって、その小さなちりぢりの物質に、コスモスのまるごとが働き、そこに、ひとつの相をつくります。

 

 ならば、人は、いかがでしょうか。わたしたちは、死から新たに生まれるまでのあいだ、人の相をかたどります。秘密のことごとくをもって、そこに、わたしたちのカルマを織り込みながらです。そして、それを、先立って母のからだへと送ります。わたしたちは、まず、精神の萌しをなりたたせます。ただ、それは、物質の萌しに比べて大きいだけのことです。そして、それが、混沌と化した物質へと降りてきます。それが、まことであり、いまの生理学が夢みるところとは、異なります。

 

 いうところの時にあっては、「わたし」が、精神であり、こころであるものとして、精神であり、こころである神々のもとに生きます。人を、人として、内から親しく知る働きにおいて、生きます。次の、この世において生きることに向けてです。そう、精神において、気高さ、大いさのうちに経られるところのおもかけが、かしこくも幼い子の釣り合いを探りだす働きのいちいちにおいて出てくるところです。こういうことを見るというのは、すこぶる興味深いことではありませんか。元の力、もしくはアルカイが、死から新たに生まれるまでに生きることから、幼い子の釣り合いを探りだすことのまるごとへと、働きおよびます。普段、こともなげに言うところの、歩くようになることへです。この世にあるものというものにおいて、精神であるもののおもかげを見ることのできる人なら、このことをも見ることができるでしょう。歩く所作という所作、手で掴む所作という所作において、わたしたちが、「わたし」という「わたし」に交じわる「わたし」として、精神の釣り合いを探りながら、してきた精神とこころのことが、そのおもかげを見いだします。まさに、この地を歩めるようになることにおいてです。

 

 そして、わたしたちが、もろもろの精神の中のひとつの精神であり、やがての、この地において生きること、からだにおいて、手足において生き、それによって、ふたたび、しかじかの人となり、みずからのカルマを生きることに向けて、備えをする、そのありようをしおおせると、すなわち、そのありようを、そちらの世において、死から新たに生まれるまでのあいだに、しおおせると、この世において生きるに先立って、こういうありようが来たります。そこまで伴に働いてきた、いちいちの精神を、もはやいちいちとは分かつことができなくなり、ひとえに精神のあまねき覚えのみがある、ありようです。そのとき、わたしたちは、なるほど、ひとつの精神の世に生きていることは知っています。しかし、わたしたちが、この世において生きることへと近づくにつれて、精神の世が、わたしたちによこす印象は、ひとからげの印象となり、精神のものたちを、ことさらいちいちと覚えることからの印象ではなくなります。分かりやすく、なんのことはない譬えを使いますが、言わんとすることは、すこぶる貴いことです。遠くに小さな雲のようなものがあり、それを雲だと思うとします。しかし、近づいて、それが虫の群れだと分かります。いちいちのいちいちであることを、分かつことができます。さて、精神の世において、死から新たに生まれるまでのあいだに、それと逆のことがあります。まず、いちいちの精神のもののいちいちであることを、分かつことができます。それが、ひとつのあまねき印象になりきたります。いうならば、精神のものを生きる代わりに、精神の現れが出てきます。

 

 そのありよう、すなわち、わたしたちが、ふたたび、この地への道を求める故に、精神の世から、いかほどか遠ざかってのありようが、人の言語のもとにある内なるところにおいて、映し出されます。わたしたちは、話します。喉が、いわば起点です――つまびらかに見ると、そうではありませんが、おおまかに見ての起点です――喉のほかの言語器官も動きます。しかし、その後ろに、そもそものことがりあます。そもそものことが、心臓に、喉の後ろに、息づかいのまるごとに、そして、それとかかわるすべてにおいて、あります。その、言語のもとにあることが、いうところの現れのありようの、この世におけるおもかげです。すなわち、神々であり精神であるものを遠く微かに覚える、わたしたちのありようの、おもかげです。それが、そうであること、歩くようになり、釣り合いを探りだすことが、精神の世において動くことのおもかげであるのと同じです。そのとおり、子どもが、話すようになりながら、死から新たに生まれるまでに経てきたありようを、ふたたび生きます。

 

 そして、わたしたちは、物質のなりたちの精神の萌しを下に送り、受胎を介して、だんだんに母のからだと繋がっても、なおかつ上にいます。いわば、この地において肉を受ける前の、最後の時です。わたしたちは、世のあらゆるところから、エーテルのなりたちを引き寄せます。そして、そう、エーテルのなりたちを引き寄せること、目耳の沙汰を凌ぐ世におけることが、考えるようになることにおいて、表れでます。

 

 さて、わたしたちは、順に続く三つのありようを、もちます。精神の世において生きること、それが、歩くようになることにおいて、映ります。精神の世の現れ、それが、話すようになることにおいてです。そこから、わたしたちは、もとに世のことばとしてあるところを、世のロゴスと呼び、内なることばと呼びます。それが、あまねきロゴスの現れであり、そのロゴスにおいて、精神のものが、そのもののことを語ること、いわば、虫の群れにおいて、虫が、と同じです。それが、話すことのもとにあります。そして、わたしたちが、エーテルのなりたちをつくるべく、することです。そもそも、そのなりたちが、わたしたちの内において、考えます――つまり、わたしたちは、夜を通しても、考えています。ただ、そこに、わたしたちが、「わたし」とアストラールのなりたちをもって居合わせてはいないだけです――それが、最後のことであり、わたしたちが、この地へと降りる前に、わたしたちへと取り集めるところです。そして、それが、考えることへと及ぶところです。そのとおり、幼くも幼い子が、歩くようになること、話すようになること、考えるようになることにおいて、物質のなりたちへと、この世にある前のありようから降ろしてくるところを、順に組みいれます。

 

 このことが、実に精神を知ることへと通じるところであり、もってまた芸術的に世をとらえること、宗教的に世をとらえることへと通じるところです。すなわち、わたしたちが、物質のありようであり、目耳を介してある、いちいちを、精神であるものに重ね合わせることができることです。ただにあまねく神々や精神を云々したがる人は、繰り返し使う譬えですが、野に繰りだして、ほら、これがヒナギク、これがタンポポ、キクジシャ、キクニガナと告げてもらいながら、そんなのは、どうでもいい、わたしには、花、花、花がすべてと言う人と、どっこいです。花、花がすべてだと言うのは、気楽でしょう。しかし、花のありようにも、さまざまあります。精神の世においても、またしかりです。目耳を介してあり、物質であるすべてのもとに精神であるものがあると言うことも、気楽でしょう。しかし、重きをなすのは、わたしたちが、いやましに、こういうことを知っていくことです。いかなる精神であるものが、いちいちの物質であり、目耳を介してあるもののもとにあるかです。そもそも、そのことによってこそ、わたしたちは、精神から、まことふたたび、物質において目耳を介して生きることの歩みに噛み合うことができます。

 

 その原理から、たとえばわたしたちのヴァルドルフ教育も、ことにひとつの、実に人を顧みる教育となります。その教育を、これから幼い砌のためにも練り上げていくことができれば、さらにはっきりすることでしょう。わたしたちには、それがまだできません。これまで、上への継ぎ足をしてきて、今年、最終学年を設けました。学校を、教育目標に沿ってつくりあげるには、することが山ほどあります。そのため、これまで、下への事柄の充足、幼稚園を加えるということも、考えているどころではありませんでした。そして、いま、最初のヴァルドルフの生徒が、アビトゥーアを迎えようとしています。これからは、上への継ぎ足しを、しないでよくなります。ただ、わたしたちは、はなはだしく「金欠過多」です。ヴァルドルフ学校にとっても、下への継ぎ足しが、ままならないかもしれません。いずれは、下への継ぎ足しにおいて、歩くようになること、話すようになること、考えるようになること、さらにその後の育ちに向けても、事柄がしかるべく立てていかれることでしょう。同じく、勿論のこと、わたしたちは、六歳、七歳、さらにその後のことにも、まさしくこのことを顧みることから、事柄を立てます。子どもにおいて、なにがからだを得るのか、その週その週、その月その月、子どもの生きることにおいて、生まれる前のなにが表れるのか、です。すなわち、人が、まこと精神から教育をつくります。

 

 そのことも、きっと、わたしたち、多くの人が、ふたたび見いだすことのひとつです。人類が、下り道に止まろうとするのでなく、上り道に至ろうとしているからにはです。わたしたちは、きっと、ふたたび精神の世への道を見いだします。しかし、わたしたちが、それを見いだすことができるのは、まるまる意識していることから手立てを見いだして、精神から振る舞うようになり、話すようになるにおいてです。

 

 大きなアトランティスの破局の後の初めの時代には、人が精神から生きました。ひとりひとりがです。ひとりひとりが、みずからのカルマのいかなるかを、生まれた時をもとに告げてもらえたからです。すなわち、占星術は、いまはおうおうにして素人の手なぐさみですが、そういう手なぐさみではありませんでした。占星術は、星々のことごとを、いきいきと、ともに生きることでした。そして、その、いきいきと、ともに生きることから、秘事から、ひとりひとりの人に、どう生きるべきかが開かれました。占星術が、ひとりひとりの生きることにとって、生きた意味をもっていました。

 

 それから、こういう時代が来ました。おおよそ紀元前の6000年代、5000年代、4000年代をもってです。人々が、なるほど星空の秘密を生きることはなくなりましたが、しかし一年の巡りを生きました。もって言わんとするところは、いかがでしょうか。人々が一年の巡りを生きたというのは。すなわち、こうです。人々が、じかに観ることから、このことを知っていました。この地は、いまの地理学者が観るとおりの粗い固まりではありません。この地が、もしも地理学者の思いなすとおりであるとすると、草木が育つことも、まして獣や人が現れることも、ありえません。そういうことが、なんらありえません。そもそも、地理学者のいうこの地は、ひとつの石塊です。そして、石塊にじかになにかが育つのは、コスモスのまるごとが石塊に働きかけるにおいてです。コスモスのまるごとが世のまるごとに繋がってあるからです。人が、まさに古い時代において、このことを知っていました。人が、きっと、いまにおいて、ふたたび知るようになることをです。すなわち、この地が、ひとつの生きた織りなしであり、ひとつのこころをもちます。

 

 さて、この地のこころは、また、それなりの運命をもちます。時は冬だとしましょう。聖夜の時、冬至の折りです。その折りには、この地のこころが、この地と、まるまるひとつでです。そもそも、雪の覆いがこの地をおおい、寒さの衣がこの地をくるむ頃には、この地のこころが、この地とひとつであり、この地において安らいます。そして、この地において安らうこの地のこころが、あまたの地水火風の精の生きることを支えます。いまの自然主義がいうところで、種が秋に蒔かれ、すなわち地中におかれ、そのまま春に至るというのは、まことではありません。種は、きっと冬を通して、この地の精に見まもられていなければなりません。そのすべてが、冬のあいだ、この地のこころがこの地のからだとひとつであることと、かかわりあっています。

 

 その逆の時、ヨハネの時をとってみます。ちょうど、人が、空気を吸い込み、吐き出し、空気が、ひとたびは人の内にあり、ひとたびは人の外にあるように、この地も、この地のこころを吸い込みます。それが、冬のあいだであり、この地のこころが、すっかり吐かれ、コスモスの広がりへと出されてあるのが、盛夏の折り、ヨハネの時です。その時には、この地のからだが、かなりのほどに、この地のこころの脱け殻です。この地が、この地のこころにおいて、コスモスのことごとを、ともに生きます。星々の巡りなどをです。だからこそ、人が、古い時代に、冬の秘事をもち、その秘事において、この地のこころがこの地とともにあることを知り、また夏の秘事をもち、その秘事において、万有の秘密を覚えました。秘事に通じた人のこころが、この地のこころに従って、外の世へと赴き、星々とともなるこの地のこころを、ともに生きるからでした。

 

 人が、それらのことについて、なんらかの意識をもっていたことは、いまも残る古い習わしからも知られましょう。だいぶ前になりますが、わたしは――ここ、ベルリンでのことです――ある天文学者とたびたび同席することがありました。ベルリンでは名の通った方であり、こういうことを高らかにアジッておりました。毎年、復活祭が、せめて四月の第一日曜日とかでなくては困る。復活祭が春の満月の後の初めの日曜日だというのは、甚だけしからん。もちろん、それに対しては、そうでないということをとやこうしても始まりませんでした。そもそも、そのもとにあったのは、こういうことでした。復活祭の日が年ごとに変わるため、帳簿の貸方借方に不都合が生じる。その運動は、あまつさえ大きな次元をもっていました。これも、この場で、ひとたび話しましたが、帳簿は、普通、見開きに「神とともに」と銘うたれています。しかし、だいたいにおいて、帳簿に記載されるところは、「神とともに」はありません。

 

 かつて、人が、復活祭を、星々の巡りに沿って決めた頃には――春の満月の後の初めの日曜日は太陽に捧げられていました――まだ、このことに向けての意識がありました。冬の時には、この地のこころが、この地においてあり、ヨハネの時には、この地のこころが、すっかり外、世の広がりにおいてあり、春には、それが世の広がりへの途上にあります。つまり、春の祝祭、復活祭が、しかじかの日と決められるのは、この地に沿ってのみではありません。それは、きっと星々の配置に沿ってこそ、祝祭として立ちます。そこには、古い時代からの深い知恵がひそみます。そのむかしは、まだ人々が古い本能的な透視から、一年の巡りの精神であるところを覚えることができました。わたしたちは、きっと、ふたたび、そこまでに至ります。そして、わたしたちが、それなりの意味において、ふたたび、そこへと至ることができるのは、ほかでもなくここでともに育んできたような取り組みを手だてにしながら、現代の課題をとらえるにおいてです。

 

 このことも、わたしは度重ねて、あらわに話してきました。この場においてもです。すなわち、人が、夜毎、さきに言うとおり、ともどもになる精神のもののうち――言語によってともどもになるアルカンゲロイのうち――しかじかのものが、しかじかの時代をとおして司る精神の力であります。そして、十九世紀の終わりの三分の一において、ミヒャエルの時代が始まりました。ものの本においてミヒャエルと呼ばれている精神が、人の文明の営みにむけて本質的な精神となりました。こうしたこともサイクルをもって巡りくることです。

 

 かつては、人が、そうした精神のことごとについて、なにがしかを知っていました。ヘブライのむかしは、ヤーウェのことを語りました。というよりも、もっぱらにヤーウェの顔のことを語りました。そして、その顔をもって言わんとするところは、そもそもにおいてヤーウェとこの地のあいだをとりなした大天使のことでした。そして、ユダヤの人々が、メシアをこの地に待ち望みましたが、当時がミヒャエルの時代であり、ミヒャエルがキリストの働きをこの地にとりなすことを、知っていました。ただ、ユダヤの人々が、そのことを深いかかわりにおいて取り違えただけでした。いま、また、この地にむけて、時が来たりました。十九世紀の七十年代からです。すなわち、ミヒャエルの力が、世において司る精神の力であり、わたしたちが、きっと、このことをわきまえるようになります。精神のものを振る舞いへと引き込み、精神のものから生きることを立てることです。それが、ミヒャエルに仕えることです。わたしたちの生きることを、ただに物質のものから設えるのみではなく、このことを意識していることです。すなわち、きっと、低いアーリマン流の力を凌ぐことを、その使命のうちにもつ者、ミヒャエルが、いわば文明の発展にむけて、わたしたちの賢い精神となります。そうなることができるのは、どのようにしてでしょうか。そうなることができるのは、わたしたちが、このことを想い起こすにおいてです。すなわち、わたしたちが、一年の巡りを、精神の意味において、よすがとすることができるのは、どのようにしてかということです。

 

 実に、大きな知恵が、世の巡りのまるごとに、ひそみます。わたしたちは、春の祝祭に、キリストの復活の祝祭を繋ぐことが許されます。歴史上のかかわりは――たびたび述べてきたとおり――あくまでそのとおりのかかわりです。ただ、春の祝祭、復活祭が、年ごとに、日どりを異にします。まさに異なる世から見られているからです。ただ、わたしたちは、この地において、しかつめらしく、時が一続きに過ぎゆくとか、一時は、どの一時も同じ長さだといった思いを抱きます。時を定めるということを、わたしたちは、ひとえにわたしたちのこの地の手だて、数学をもってします。それに対して、実の精神の世にとっては、世の時が生きてあります。世の時は、一時が他の一時と同じでなく、より長いか短いかです。よって、わたしたちが誤りもしでかします。わたしたちが、天から決めてしかるべきところを、ひとえにこの地から決めるにおいてです。復活祭は、折り目正しく天に沿って決められています。

 

 それは、どういう祝祭でしょうか。それは、わたしたちに、こういうことを想い起こさせる祝祭であり、また、かつて人々に、こういうことを、いきいきと想い起こさせていた祝祭です。すなわち、とある神が、この地に降り、ナザレのイエスという人に住まったこと、もって人々が、「わたし」の育ちへと近づいた時、死を通して精神において生きることへの道を、ふさわしく立ち返って見いだすことができることです。そのことを、わたしは、この場で、度重ねて論じました。復活祭は、人が、死と、それに続く不死であることとを、ゴルゴタの秘事において見つめる祝祭です。わたしたちが、その春の祝祭をふさわしく見つめるのは、みずからにこう語るにおいてです。すなわち、キリストが、みずから死に打ち勝ちながら、人の不死であることを強めたことです。しかし、わたしたち、人にとって、キリスト・イエスの不死であることが、ふさわしく分かるということは、わたしたちが、この地に生きるあいだに、その分かったことをみずからのものにしてこそです。言い換えれば、みずからのこころにおいて、みずからとゴルゴタの秘事とのかかわりを生かすことができ、そしてゴルゴタの秘事から精神のものをすっかり削ぎ落とそうとする物質主義の発想を去ることができてこそです。いまは、人が、キリストを立てようとはしません。せいぜい「ナザレ出のただの人」、イエスを立てようとするまでです。なるほど、みずからが科学的であることをもって、こういうことを認めるには、かなりのためらいがあるはずです。すなわち、ゴルゴタの秘事が、この地があるということの中心にある秘密を含むこと、神の死と復活を含むことです。しかし、わたしたちが、そのことを精神において生きるなら、それがまた備えとなって、さらなることを精神において生きます。

 

 よって、いまの人にとり、こういうことが重きをなします。ゴルゴタの秘事を、まずは紛れなく精神のこととして生きることができること、そのことを稼ぐことです。ならば、さらに精神のことを生きるようになり、精神の世への通い道を見いだします。精神の世への道を、ゴルゴタの秘事を通して見いだします。しかし、人が、きっとゴルゴタの秘事を糸口に復活ということを知るのは、なお生きるあいだにおいてです。そして、なお生きるあいだに復活ということを感じつつ知るにおいて、ふさわしく死を経てゆく力を得ます。つまり、ゴルゴタの秘事における死と復活が、かかわりを逆にすることを、人に教えます。生きるあいだ、復活ということを、内において、こころにおいて生きること、もって人が、その内における、こころにおける復活に沿って、ふさわしく死を経てゆくことができます。それが、復活祭の生命に向き合いつつ生きることです。

 

 復活祭において、わたしたちは、キリストの死と復活を深く見やることができるようにと、促されます。しかしまた、わたしたちは、人として、こころの復活のなんたるか、人の復活したこころがふさわしく死を経ていくことのいかなるかをも、深く見やる力を要します。わたしたちは、春に草木が芽吹き、自然が蘇り、自然が冬の死を凌ぐのを見ながら、ふさわしい復活祭のこころもちを得るように、夏をふさわしく過ごしながら、こころがコスモスの広がりへと上りおおせることに向けても、それなりの情を得ることができましょう。さて、わたしたちが秋に近づき、九月が来て、秋分が来ます。春に芽吹き、緑を湛えた葉が、色づくようになり、散りはじめ、木々の葉が、ところどころ、はやくもまばらになり、自然が生命をなくしていきます。しかし、そう生命をなくしつつある自然を、わたしたちが分かるのは、この地の息吹が絶えゆき、この地が雪に覆われつつあるのを見やり、みずからにこう語るにおいてです。この地のこころが、ふたたびこの地へと帰ってきた、そして冬至が来る頃には、すっかりこの地においてあろう。

 

 そうした秋の折りをも、春の折りを感じるのと同じテンションで感じるということが、ありえます。そして、わたしたちは、春の復活祭の時に、神の死と復活を感じるように、秋の時において、人のこころの復活と死を感じることができましょう。すなわち、この地において生きながら復活を生きること、もってふさわしく死を経ていくことです。ならば、きっと、このことも分かります。この地のこころが、夏のヨハネの折りに、世の広がりへと吐ききられ、星々とひとつになり、そしてまた戻ってくることが、わたしたちにとって、わたしたちのいまの時代にとって、どんな意味をもつかということです。そのとおり、一年の巡りにおけるこの地の移りゆきの秘密を見とおす者なら知っているとおり、ミヒャエルの力が、いまならでは、自然の力を通して、ふたたび降りてきます。これまでの幾世紀においては降りて来なかった、その力が、です。ですから、わたしたちは、枯れゆく秋に向き合うことができましょうし、向き合えば、ミヒャエルの力が雲間からこの地に迫ることに、まみえます。

 

 なるほど、カレンダーをみれば、当の日に「ミヒャエル」とあります。そして、農民の祝日ということにもなっているのが、ミヒャエル祭です。しかし、わたしたちが、いまを精神において感じながら、わたしたち、この地の人のことごとが、自然のことごとと繋がりあうようになるのは、わたしたちが、一年の巡りを、ふたたび深くから分かるようになり、一年の巡りのうちに折々の祝祭を仕立てるようになってです。まさに、かつての人たちが、かつての夢に似た透視から、それを仕立てたほどにまてです。かつての人々が、年ということを分かり、その秘密から、すなわち、きょう、ここで、かすかすながらも指して説くとおりの秘密から、聖夜の祝祭、復活祭、ヨハネ祭を仕立てました。聖夜の日には、贈り物をするとか、あれこれのことがなされます。しかし、これまた度重ねて、この場で、聖夜の講演や復活祭の講演をもって取り組んできたとおり、いまの人々のあいだには、そうした古い祝祭として据えられたことごとから、ほんの僅かが残るきりです。すべてが、しきたりとなり、うわべのこととなりました。しかし、人が、いまはただしているだけで、分かってはいない祝祭を、ふたたび分かるようになるなら、ひとつの、いまの人類にとってふさわしい意義を備えた祝祭を、一年の巡りを精神において知ることから据える力をも、もちあわせるようになります。それがそうなって、ミヒャエルの祝祭です。九月の終わりの日々における祝祭です。秋が近づき、草葉が衰えはじめ、木々が葉を落としだし、自然が――復活祭においては芽吹きへの向きをもつのに対して――枯れ行くことへの向きをもつ頃です。萎みつつある自然において、わたしたちが、まさにこのことに気づくようになる頃です。この地のこころが、この地とひとつになり、この地のこころが、ミヒャエルを雲間から連れて来ます。

 

 わたしたちが、精神から、そうしたひとつの祝祭をつくりだす力――わたしたちが社会として生きることに、ふたたび、ともどもであることをもたらす祝祭をつくりだす力です――その力をもちあわせるなら、ことを精神からなしていましょう。そもそも、そのあかつきに、わたしたちが仕立てていることは、まずもって精神がその源をなりたせることであるはずです。社会を巡って、あれこれ考えても、それが、いまの縺れたかかわりにおいて、なんらかの導きとなりうるのは、そこに精神があってこそです。より重きをなすのは、まずもって、いくたりかの分かった人が集い、ふたたびコスモスから、この地において、なにごとかを、すなわちひとつのミヒャエル祭ということを、設けることであるはずです。尊いこと復活祭に値し、しかし秋の祝祭として復活祭と対をなす祝祭を、です。モチーフがまぎれなく精神の世にあり、なおかつ、やがて人々のあいだに、ふたたび、ともどもであることの情をもたらそう、なにごとか、すなわち、ひとつの祝祭として、まんまんとみずみずしい人の胸から、まさにいまにおいてつくりだされよう、なにごとかを、人がしようとこころを決めることができるなら、人と人とを社会として結ぶことが、やがてこととなるはずです。そもそも、祝祭こそが、人々を、古い時代において、社会として、しっかりと結んでいました。考えてみてください。かつて祝祭に向けて、また祝祭ともに文化のまるごとに向けて、なされ、語られ、考えられてきたことというのは、いかなることでしょうか。そのことは、まさしく、祝祭を確かにすることを通して、じかに精神から物質のものへ、いきいきと及んできたことです。

 

 人々が、いまにおいて、厳かに、ひとつのミヒャエルの祝祭を九月の終わりの日々に据えようと、こころを決めることができるなら、それが、ひとつのことであり、こよなく大きな意味をもつはずです。そのことにつけては、きっと人々のうちに勇気が見いだされることになります。たんに表側の社会組織について論じるとかだけでなく、この地を天に結ぶこと、物質のかかわりをふたたび精神のかかわりに結ぶことを、する勇気です。そして、それを通して、精神が、ふたたびこの地のかかわりへと導かれて、人々のあいだに、実に、ことが起こります。わたしたちの文明と、わたしたちの生きることのまるごととを、さらに先へと導くこころざしてあることが、です。

 

 もちろん、この場で詳しく描いている暇はありませんが、それらのことごとは、科学、宗教、芸術にわたります。それらのことごとが、かつての祝祭を通してと同じく、ひとつの、大きなスタイルにおいて精神からつくりだされる、新しい祝祭を通して、こととなるはずです。そして、そう、精神からつくりだすことは、いま、社会について論じらていれるあれこれよりも、どれほど重きをなすことでしょうか。そもそもにおいて、そのことは、なにを意味するでしょうか。そのことは、人の内を見やることにとって、多くを意味します。ひとりの人と向き合い、その人の思うことを見てとることができるということ、その人のことばがふさわしく分かるということです。巡りつつの世が、秋にかけて、いかに働くかを、人が、いまにおいて、見てとることができるなら、世の相の謎を、人が、読み解き、それを汲んでつくりだしつつ働くことができるなら、そうした祝祭をつくることにおいて、人が、人の欲することを、あらわにするのみか、神々の欲すること、精神たちの欲することをも、あらわにします。ならば、ふたたび精神が人々のところにありあわせます。

 

 しかしながら、いまのありさまは、実にこうです。精神のものが、世において、おかしな具合に受けとられます。はじめにお伝えしたこととのかかわりで、終わりに、もうすこし言わせていただきます。これは、まえまえから触れずにいられなくて触れてきたことですが、外れも外れのフリーメーソンの側から発したものの、やがて有象無象の占星術の書のなかで繰り返され、久しく敵という敵が飛びついてきたことで、こういう言いぐさが世に植えつけられています。いわく、精神の火花がドルナッハのゲーテアヌムにたっぷりと降り注いだ。やがて時が来て、物理の火花がゲーテアヌムに降り注ぐ云々。そういうことを、かれらはもう二年のあいだ書きつづけています。すなわち、そのとおりのありさまにおいてです、いま、精神から実に汲まれることが世に受け入れられるのは。それに対して、きっと、みずからを精神のもとに据えるということを、しんそこ厳かにとることのできる人々がいます。厳かにとることができるというのは、精神についての話を通してのみか、実に精神を人々のあいだに広めることのできるような、精神についての話を通してもです。そして、そのように精神を広めることになりましょう、わたしたちが、精神からつくりだすようになるならばです。まさに古い時代が精神からつくりだすようになった如くにです。はばかりながら、わたしは、度を重ねて、聖夜の祝祭を巡り、復活祭を巡り、すなわち古い祝祭を巡って話してきました。古い祝祭の精神を、時の巡りの巡った跡から引き出すことも、すてきです。しかし、わたしが願うのは、古い知恵の考えたところがアントロポゾフィーによって掘り起こされるということを、分かってもらうことだけではありません。わたしが願うのは、わたしたちの、まさにいまの精神から、わたしたちへの要請として語られるところが、分かってもらえることです。たんに福音書をキリスト教の表現として見やるだけでは、ことたりません。そもそも、キリストが、こう言っています。「わたしは、あなた方とともにある、いつの日も、この地の時の終わりまでも」。キリストは、あります。わたしたちは、かれの精神、かれのことばが分かるなら、いつの日も、その精神から語ることができます。かつての人々が、世の知恵からつくりだしたこと、それによって、いまもなお、わたしたちは祝祭の深い意味をあらわにすることがてきます。そのことが、わたしたちのあいだに生きます。わたしたちは、まるまるの人であろうと欲します。しかしまた、まるまるの人としては、きっと精神においてつくりだすことがでます。ならば、古い祝祭の意味について考えるのみか、きっと、みずから、社会において生みなすようになることができます。すなわち、一年の巡りから祝祭を汲みだすようになることによってです。

 

 そのことは、なるほど、祝祭を説き明かすことよりも、多くを人に求めます。しかし、そのことが、まさしく、ひとつの実のアントロポゾフィーです。ひとつのより高いアントロポゾフィーです。そして、アントロポゾフィー協会を試すことができるのは、ただひとつ、協会が、過去のことを扱う死んだアントロポゾフィーをとらえるのみでなく、生きたアントロポゾフィーをとらえているかどうかということについてのみです。アントロポゾフィー協会は、火花の集いでもありえます。それらの火花が、ひとつの社やしろに集うようになります。その社は、外の素材でできてはいません。物理の炎によって潰えるのは、外の素材でてきた社です。正真正銘、精神を湛えて滾たぎるこころ、正真正銘の精神の生、それが、きっと社に通います。それが、きっと精神において輝くところをもって、社を照らすからです。そのこころと生の炎が、その社を壊すことは、ありえません。ありうるのは、その社をさらに麗しくつくりあげることのみです。わたしたちは、生きたアントロポゾフィーであるところを、考えましょう。まさにわたしたちを弛まず先へと導く炎としてです。生きた精神、すなわちアントロポゾフィーそのもの、それが、わたしたちを、人であることのさらなる歩みへ、また、いま、こうまではっきりと下り道にあるところを、ふたたび建ててゆくことへと、導くものであって欲しいものです。

 

 これが、このたび、ここベルリンにいる間に、話したかったことです。友よ、わたしたちがともに会することができる折りは僅かですから、こういう厳かなことを、この折りに取り上げるのがいいと思いました。望むらくは、ここから、ふたたび、よく考えにおいてともにあることが始まることを。そもそも、アントロポゾフィーが働くのは、精神においてです。物理の空間においてのみではありません。そして、おのおの方に、お別れとして申し上げます。わたしたちが、精神において、ともにありつづけることを、たとえ、これからまた空間において長らく別れ別れになりましても。

(訳:鈴木一博)