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略伝自由の哲学第四章c−1

 この回はナンバ一を4-bから4-cに改めて、四の章の二十三の段から見ていきます。「自由の哲学」を通じて最も長い段からでもありますが、どうぞおつきあいください。

 

 想いを、わたしは、わたしみずからについて覚える、しかも色や音などを、ほかの対象について覚えるのと同じ意味においてである。わたしは、ここでまたこんな違いを設けることもできる、すなわち、わたしは、わたしに対して立つ対象のかずかずを、外の世と呼び、かたや、わたしみずからの覚えの内容を、内の世として言い表す。想いと対象とのありようの知りそこないが、近代の哲学における、きわめて大きな間違いのかずかずを引き起こした。わたしたちにおける変化の覚え、わたしみずからの経験する様変わりが、前面に押し出され、その様変わり誘い出している客が、すっかり見失われてしまった。人の言うところ、わたしたちは対象を覚えず、わたしたちの想いを覚えるのみである。わたしが識るのは、つまり、わたしの見る対象である机そのものについてでなく、わたしが机を覚えるあいだ、わたしみずからとともに起こる変化についてであるということになる。その観方が、さきにふれたバークリーのと取り違えられてはなるまい。バークリーは、わたしの覚えの内容が主のであると言い立てるが、わたしが識りうるのは想いについてのみだとは言わない。かれが、わたしの識ることを、わたしの想いに限るのは、いかなる対象も想うことの外側にはないと念うからである。わたしが机として認めるところ、それが、バークリーの意味においては、わたしが見る目を向けなくなるや、ありはしなくなる。それゆえ、バークリーは、わたしの覚えがじかに神の力によって出てくるとする。わたしが机を視るのは、神が、その覚えを、わたしのうちに呼び出すからである。バークリーが知るリアルなものは、すなわち、神とかずかずの人の精神のほかではない。わたしたちが世と呼ぶところは、かずかずの精神の内側にあるのみである。ナイ一ブな人が物体と呼ぶところは、バークリーにしてみると、ありはしないのである。その観方に、いまをときめくカントのが対し合う、すなわち、こちらが、世についてわたしたちの知るところを、わたしたちの想いに限るのは、想いの外側にいかなるものごともありえないと揺るぎなく信じるからではなく、わたしたちのなりたちのゆえに、わたしたちが経験しうるのは、わたしたちみずからの変化についてのみであって、その変化を誘い出しているものごとそのものについてではないと信じるからである。その観方は、わたしがわたしの想いのみを知るということの立ちようから、想いに依らない存在はないということを導きだすでなく、ただ、主が、そういう存在を、じかに取り込むことはできずに、そういう存在を、ほかでもなく「主の考えを仲立ちにして、思い描いたり、想い設けたり、考えたり、知ったりすることができる、いや、知ることができないというべきか(リープマン「現実の分析」)」ということをのみ導きだす。その観方は、無条件に確かなこと、あらゆる証をさしおいて、じかに明らかなことを言っていると信じている。「哲学者がはっきり意識しておくべき、まずはじめの原則は、わたしたちの識ることが、さしあたり、わたしたちの想いにまでしか及んでいないと知ることにある。わたしたちの想いは、わたしたちがじかに経験し、じかに生きる、ただひとつのものである。そして、まさしく、わたしたちが想いをじかに経験するゆえ、いたってラジカルな疑いであっても、想いについて識ることを、わたしたちから奪えはしないだろう。それに対して、識ることであっても、わたしたちの想うこと ー想うという表現を、ここではいたって広い意味に取っている、すなわち、こころに起こることごとのすべてが、その下に入るー を超えていると、疑いを免れない。そこから、哲学することのはじめには、想いを超えて識ることのことごとくが疑わしいということを、あらわに立てておかなければない。」 そう、フォルケルトは、「イマヌエル・カントの認識論」について書きはじめる。そのように、あたかも、じかに得られ、おのずから分かるまことであるがごとくに立てられることは、しかし、その実、考えを操って手にされることであり、その手順は次のとおりである。ナイーブな人が信じるところ、その人が覚えるとおりの対象もまたその人の意識の外側にある。しかし、物理学、生理学、心理学が教えているようにみえるところ、わたしたちの覚えには、わたしたちのなりたちが欠かせない。よって、わたしたちが識りうるのは、ほかでもなく、ものごとについて、わたしたちのなりたちが、わたしたちへと伝えるところである。もって、わたしたちの覚えは、わたしたちのなりたちの様変わりであり、ものごとそのものではない。ざっと言ってみたが、そうした考えの筋道を、事実、エドワルト・フォン・ハルトマンはそれとして述べながら、それを辿ればこそ、きっと、こう揺るぎなく信じるに至ると言っている。すなわち、わたしたちが直接に識ることを得るのは、わたしたちの想いについてのみであると(「認識論の根本問題」)。わたしたちが、わたしたちの器官のなりたちの外側に、物体と空気の震えを覚え、その震えが、わたしたちにとって響きとして表れるゆえに、わたしたちが響きと呼ぶところは、ほかでもなく、主のである、わたしたちの器官のなりたちの、外の世の動きに対するリアクションであるということが導きだされる。同じようにして人が見いだすところ、色と熱は、ただただ、わたしたちの器官のなりたちの様変わりである。しかも、その人が見解とするところ、その二つの覚えの趣が、わたしたちのうちに呼び出されるのは、外の世のなりゆきからの働きかけによってであり、いうところのなりゆきは、色や熱として生きられるところと、どこまでも異なる。そうしたなりゆきが、わたしのからだの皮膚神経をかきたてるとき、わたしは、主のである、熱の覚えをもち、そうしたなりゆきが、視神経をかきたてるとき、わたしは、光と色を覚える。光、色、熱は、すなわち、わたしの感官の神経が外からの刺激に答える答えである。また、触の感官がわたしたちに伝えるのも、外の世の対象ではなくて、ただただ、わたしたちのありようである。近代の物理学の意味において、たとえばこんなふうに考える人もいそうである。物体は、はてしなく小さな部分、分子からなりたつ。分子の互いは、じかに接するでなく、しかるべき隔たりをもつ。分子と分子のあいだは、すなわち、なにもない空間である。その空間をとおして、分子は互いに引きつける力と撥ねかえす力によって働きあう。わたしが、わたしの手を、ある物体に近づけるとき、わたしの手の分子と物体の分子は、けっして、じかに触れ合わず、物体と手のあいだには、しかるべき隔たりが残り、そして、わたしが物体の手応えとして感覚するところは、ほかでもなく、物体の分子がわたしの手に及ぽす撥ねかえす力の働きである。わたしは、あくまでも物体の外側にいて、物体がわたしの器官のなりたちに及ぽす働きを覚えるのみである。

 

 これまでの回を少し振り返ります。「おぼゆ」「おもふ」は、ほとんど同じようであり、それが「おぼえる」「おもう」となって違いが出てきます。漢字を使って言い換えれば、「見」から「覚」がつくられ、「覚」において「相」があり「憶」があり、「相」をもって「想」がつくられ、「憶」をもって「追憶」がつくられます。

 

 また、それは、主が確かさをもってきわだってくるプロセスでもあり、客が、象、像、様といった定かな相を呈してくるプロセスでもあります。そして、それは、言うまでもなく、わたしたちが、じかに覚えることのできるなりゆきであり、さらに人の精神史として、顧みること、おもんみることのできるなりゆきでもあります。そもそも「覚える」は嵩じるものであり、それが嵩じるのは、前の回にいう「なにかのなりゆき」が加わることからです。

 

 では、ーの文です。

 

 想いをわたしは自らについて覚える、しかも色や音などを、ほかの対象について覚えるのと同じ意味においてである。

 

 色や音も、わたしたちは、じかに覚えることができますし、想いも、わたしみずからも、ないしは覚えるの主も、わたしたちは、じかに覚えることができます。まさに覚えるということでは、どちらも同じです。(なお「意味Sinn」については、4-b-2の回を見てください。)

 

 二の文が、こう続きます。

 

 わたしは、ここでまたこんな違いを設けることもできる、すなわち、わたしに対して立つ対象のかずかずを、外の世と呼び、かたや、わたしみずからの覚えの内容を、内の世として言い表す。

 

 わたしたちは、色や音に対し合つて、隔たりを置くことができますし、想いにも、わたしたちみずからにも、対し合つて、隔たりを置くことができます。違いは、先のことがしやすく、後のことがしがたいことです。そして、後のことがしがたいのは、それがなおさらにわたしたちのすることであるからです。すなわち、想いは、覚えよりも、なおさらに主のであり、覚えは、想いよりも、なおさらに客のです。そもそも、内の世・外の世の呼び分け、あるいは内面、外界といつた言い方がなされるのは、わたしたちがなおさらにわたしたちのである想いをもつからです。(「違いを設ける」に当たるのはden Unterschied machenであり、den Untarschiedく差別を〉machenく作す〉という言い回しです。なお「対し合い」「隔たり」については4-b-4の回を見てください。)

 

 そのとおり、一の文は、覚えるという、わたしたちのする働きが、覚えと想いにまたがる一つのプロセスであることを言い、二の文は、覚えと想いが、ともにわたしたちの覚えるところでありながら、互いに趣を異にすることを言います。そもそも、なりゆきということ、なるというプロセスは、覚えと想いにまたがってこそ、または覚えと想いの重なりにおいてこそ、リアルに覚えられるところです。なりゆくものとなりきたものは、同じといえば同じですし、違うといえば違います。ことに育つということは、同じひとつづきにおける、はじまりと終わりの互い違いです。

 

 さて、三の文です。

 

 想いと対象とのありようの知りそこないが、近代の哲学における、きわめて大きな間違いのかずかずを引き起こした。

 

 わたしたちは、なにかを知りそこなっていて、間違いをしでかします。逆にまた、なにかをふさわしく知って、間違いをしでかしていたことに気づきます。(「知りそこない」に当たるのはVerkemungであり、Ver〈そこなつて〉kennung〈知ること〉というつくりです。「間違い」にあたるのはMisverstandnisであり、Mis〈誤つて〉verstandnis〈分かつこと〉というつくりです。)

 

 そして、四の文です。

 

 わたしたちにおける変化の覚え、わたしみずからの経験する様変わりが、前面に押し出され、その様変わりを誘い出している客が、すっかり見失われてしまった。

 

 わたしたちは、わたしたちの想いを覚えるあまり、その想いのよってくる先を覚えそこないがちです。逆にまた、想いのよってくる先の覚えをないがせにして、つまり、覚えるの客を客として立てるかわりに、想いを押し立てて、わたしたちみずからの都合を押し通したりもしています。そして、そうした、みずからへのこだわりが、近代の哲学における大きな間違いを仕立てました。逆にまた、近代の哲学における大きな間違いが、わたしたちにおけるみずからへのこだわりを強く支えてもいます。(「様変わり」に当たるのはModifikationであり、modificatio〈図る、ないし、計る〉というラテン語から来て、いわば「図柄を変えること、変えられた図柄」という解があります。そして、その語幹ModiはModus、すなわち、モード、様子、様相、仕様などを意味しです。)

 

 そして、五と六の文です。

 

 人の言うところ、わたしたちは対象を覚えず、わたしたちの想いを覚えるのみである。わたしが識るのは、つまり、わたしの見る対象である机そのものについてではなく、わたしが机を覚えるあいだ、わたしみずからとともに起こる変化についてであるということになる。

 

 右は、すなわち、大きな間違いの皮切りとなる説で、カントのです。ちょっと先取りしますが、それは、わたしたちの識るということに限りを設けます。そして、それによるとき、わたしたちは、ものごとに迫る道を、みずから閉ざすことになり、さらには、こころの張りを失い、ひいては生きることを投げ出すにまで至りかねません。逆にまた、ものごとに迫るには、想いをさしおくことも欠かせません。すなわち、想わないことを想うこと(思量箇不思量底)、ただに見ること、アクテイブに覚えるこです。(「識る」に当たるのはwissenであり、これまでも断りなく使ってきましたが、「知っている」「覚えている」という意であり、さらに場合によっては「わかっている」「意識している」と読み変えることもできます。なお「つまり、ということになる」に当たるのはsollenであり、他者の意向というモードを湛える助動詞(Modalverb)です。)

 

 さて、次には、そのカントの観方と、さきのバ一クリーの観方とが引き比べられています。長くなりますので、ひとつひとつの文をあらためて引くことはしません。そのふたつの観方の違いは、ざっと、こんなふうにも言うことができます。(「観方」に当たるのはAnschauungであり、an〈ついて〉schauen〈観る〉から来て、世界観や人生観の「観」を意味します。)

 

 なるほど、どちらの観方も、わたしたちが識るのは客についてでなく、主についてであると言うことでは同じですが、しかし、いうところの主の趣は互いに異なります。バークリーの言う主は、なによりも見るの主であり、カントの言う主は、なによりも想うの主です。

 

 すなわち、バークリーは、主として見るところを迎えつつ、「神」という考えに向かい、カントは、主として想うところを迎えつつ、「ものごとそのもの」という考え、ないし考えもどきに向かいます。言い換えれば、バークリーは、わけても覚えるのナイーブさをもって、「覚えを生みだす神」という考えを仕立て、カントは、わけても覚えるのファンクションをもって、「覚えを誘い出すものごとそのもの」という考え、ないし考えもどきをあみだします。

 

 そのとおり、ふたりの観方を引き比べるにおいても、ひとつのプロセス、ひとつの重なり、見る-覚える-想う、ないしは、覚えるのナイーブさ-覚えるのアクト-覚えるのファンクションが、リアルにきわだちます。

 

 さて、これはゲーテのいうところですが、感官は誤らず、思考が誤ります。誤りのもとは、わたしたちの考え方です。さらに「考える」が「か(処)むがふ(向がう)」であるという宣長の説を借りて言えば、誤りのもとは、「か」の据え方です。いわば、わたしたちが、なにをはじまりにして考えるかであり、また、考えを導き、結び、仕立てるにもなにをよりどころにするかです。そして、そのふさわしいはじまりは、わたしたちがじかに覚えるところであり、そのふさわしいよりどころは、アクテイブに覚えることをするわたしたちへと恵まれてくる直接の意識です。

 

 その意味において、つづきを、アクテイブに、意識的に、辿ってみてください。いまのわたしたちを、きっと、あらためて知ることになります。そこに述べられているのは、近代をリードした考え方です。なるほど、その、考えの操りによる、つぎはぎだらけの筋道を追うのは、一筋縄でなく、なかなか骨が折れますが、しかし、その道筋をなすひとこまひとこまは、いまのわたしたちにとっても大いに馴染があるはずです。そして、さらに二十四、二十五の段も・・・。すなわち、こうです。

 

 それら重ね重ねの考えを補いながら出てくるのが、いわゆる特殊感覚勢力の教えであり、J.ミュラー(1801-1858)が立てたものである。要は、すなわち、どの感官も、外からの剌激のすべてに対して、ただひとつの定まった答え方で答えるという特性をもつ。視神経に働きが及ぼされると、光の覚えが出てくるが、それは視神経のかきたてが、わたしたちが光と呼ぶものによってなされるのであっても、メカニックな圧しや電流が視神経に働きかけるのであっても、同じである。逆にまた、感官のそれぞれには、同じ外からの刺激によって、それぞれに異なる覚えが呼び出される。そこから、このことが出てきそうである。すなわち、わたしたちの感官が伝えることができるのは、感官そのものにおいてなりゆくところのみであり、外の世のものではいささかもない。感官が覚えを定めるのであり、しかも感官のそれぞれがそれぞれなりにである。

 

 生理学が示すところ、直接に識るということは、対象がわたしたちの感官に引き起こすものについても言えはしない。生理学は、わたしたちのからだにおけるなりゆきを追いながら、すでに感官において、外の動きからの働きかけが幾重にも変えられていることを見いだす。わたしたちがそのことをはっきりこの上なく視るのは、目と耳についてである。そのふたつは、すこぶる込み入った器官であり、外からの刺激を、それなりの神経に届けるまえに、そもそもから変えてしまう。神経の末端から、さて、すでに変えられた刺激が、さらに脳へと導かれる。そこではじめて中枢器官が、またまたかきたてられなければならない。そこから、こう結ばれる。外のなりゆきは、ひとくさりのなりかわりを経たうえで意識へと至る。脳において繰り広がるところは、そのとおり多くの間のなりゆきを通して外のなりゆきと繋がるのであり、外のなりゆきと似ているなどとは、もはや考えられない。脳が、お終いに、こころへととりなすところは、外のなりゆきでもなく、感官におけるなりゆきでもなく、ただただ脳の内側におけるそれである。しかしまた、それをも、こころは、じかに覚えない。わたしたちが、お終いに、意識においてもつところは、脳のなりゆきではさらさらなくて、感覚である。わたしのもつ赤の感覚は、わたしが赤を覚えるときに脳においてなりゆくなりゆきと、いささかも似たところをもたない。その赤は、まずはじめに、またまたこころにおける働きとして出てくるのであり、ただその基のことが脳によって与えられるだけである。だから、ハルトマンはこう言う(「認識論の根本問題」)。「主が覚えるところは、すなわち、つねに主のこころのありようの様変わりのみであり、そのほかではない。」わたしが感覚をもつとき、それは、しかしまだまだ、わたしがものごととして覚えるところには属していない。わたしには、まさしく、いちいちの感覚のみが脳によってとりなされる。硬さと柔らかさの感覚が、わたしへと、触の感官によって、色と光の感覚が、視の感官によってとりなされる。しかし、それらが、ひとつの同じ対象について、ひとつに合わさって見いだされる。そう、ひとつに合わさることは、すなわち、きっと、まずはじめに、こころそのものの働きによってなされる。つまり、こころが、脳によってとりなされる感覚のいちいちを、物体へとまとめる。わたしの脳が、わたしへと、視の感覚、触の感覚、聴の感覚を、いちいちで、しかもまったく異なる道々において伝え、そして、それらを、こころが、トランペットなる想いへとまとめる。その、ひとつのプロセスのお終いの一節(トランペットなる想い)が、わたしの意識にとって、はじめもはじめに与えられているところである。もはや、その意識のうちには、わたしの外にあって、もともとでわたしの感官に印象を与えたところが、いささかも見いだされない。外の対象は、脳への道と、脳からこころへの道の上で、すっかり失われている。

 ここまで読んで下さったかた、どうもご苦労さまでした。この回のお終いには、「さま」「かた」「モード」にちなんで、ふたつの文章を引きます。

 

 このサまたはサマという添えことばは、これからの日本語にとっても、大いに役に立つべき大切な単語である。始めは主として方角の意味に使われていたのが、後にはおいおいとその用途をひろげ、何でも人のはたらきに伴のうて、現れてくることには皆そう言おうとする慣例が認められた。・・・

 今でも汽車や電車の中で、気をつけているとよくわかるが、女でなくとも慎しみ深い人は、決して他人の顔をまつすぐに見ない。またそういう風に見ることを、失礼だと思う者がまだ多いらしい。そのために日本人の一つの癖、いわゆる流し目にちらりと見る風が生じてきたのである。私は若いころからそうすることをあまり好まず、子どもや親しい人に対するように、なるだけ目を見合っていようとしていたのだが、そのためにひどく相手を怒らせたことも稀にはあった。考えてみるとこれも理由のあることで、いくら柔らかな無害な目つきをしていても、よく見ようとするとちよっと目がすわって、互いに話でもしている場合でない限り、人に見られるという不安の感を抱かせるのである。何でそのように人の顔を見るかと、突っ掛って来る人もあった。実際またこれを挑戦の一つの方式とする者も元はあったのである。あるいはそれとは反対に、こちらが何の気なしに目をとめても、相手の方ではもう見忘れている古い知合いだったかと思って、帽子を取ったり物を言いかけて来た人もあったが、ともかくもやたらに人の顔をまじまじと見ようとすることは、日本人としてはあまりよい作法でなかったので、昔は一般にこれをしなかったかと思われる。人を呼ぶのに方角の言葉、サマという語を添えたのは、言ってみればこの方角にいる人、自分の今向かっている方角におられる御方ということで、それも以前は尊敬の程度によって、目をやる所の距離がちがい、殿下・閣下などの差別もそれに基づいてできている。サマはそういう中でも、ことに中心から遠ざかろうとした呼び方だったらしく、最初は主として女性の貴人をさしたのではないかと思うが、これもあまり流行が過ぎると、平凡になり粗末になり、しまいにはなぜそういうのか、知らぬ人ばかりが多くなってくるのである。(柳田國男「毎日の言葉」)

 

 相手がにっこりすると思わず私もにっこりします。これは相手がほほ笑んでいるから、こちらもほほ笑みかえさなければ礼儀上悪いと思ってにっこりするわけではありません。相手のほほ笑みを見ると、こちらも思わずほほ笑んでしまう。逆に相手の顔がこわばっていると、自然に私の顔もこわばってしまう。つまり他者の身体というのは、決して科学が扱うような客体的身体ではなく、表情をもった身体であり、私の身体もまた気づかぬうちに表情や身ぶりでそれに応えています。・・・

 ・・・人々のあいだで無意識のうちに交わされる身体的対話は、社会のうちに共通の表情を作り上げてゆきます。外国人を見ると同じ顔に見えるように、われわれもひとりひとりちがった顔をしているように見えながら、外から見れば、共通の表情をしているのでしょう。

 このように表情的であるのが他者の身体ですが、さらに物も実は表情的です。脅迫的な雲行きとか、なごやかな田園風景とかがあります。それに感応してわれわれの身の表情も変わります。茫洋たる海を前にしたときと、峨々たる山を前にしたときでは、身のあり方自体が異なるでしょう。つまり風景とか風土も表情をもっていて、それがわれわれの身の感応の仕方を制約しています。ですから個人の自己形成や、さらに民族の性格形成にとって、風景や風土を無視することはできません。風景や風土は物理的環境ではなく、それ自体表情的環境としてわれわれの身のあり方と深く入り交っているのです。(市川浩「〈身〉の構造」講談社学術文庫)