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略伝自由の哲学第四章a−5

 さて、道はさらに続きます。次の段は、言うならば、考えつつの者、人の意識、ものごころということから、ことということ、ものというものへと続く道すじです。言い換えれば、主という客のなかの客から、客という客に至る道のりです。そして、それを導くのも、まさに考えるです。すなわち、こうです。

 

 さて、はたまた、このことも見すごされてはなるまい。わたしたちは、考えるの助けをもってこそ、わたしたちを、主と定めることができ、わたしたちを、客のかずかずに対して置くことができる。だからこそ、考えるは、ただに主のする働きとしてつかまれてはなるまい。考えるは主と客のかなたにある。考えるが、その二つの〈考え〉をつくりなすこと、他のすべての〈考え〉をつくりなすに同じである。すなわち、わたしたちが、考える主として、〈考え〉をひとつの客に重ねるにおいては、その重なりを、ただに主のものとしてつかんではなるまい。その重なりをもたらすのは、主でなく、考えるである。その主が考えるのは、主であるからではない。その主が、その主に、ひとつの主として現れるのであり、そう現れるのは、その主に考えるへの向きがあるからである。すなわち、人が考えつつの者としてする働きは、ただに主のでなく、主のでも客のでもない働き、その二つの〈考え〉を超えでている働きである。わたしは、こう言ってはなるまい。わたしの固有の主が考えるとか。むしろ、わたしの固有の主が、それなりに生きるのは、考えるの恵みからである。もって、考えるは、わたしを、わたしの自己を超えて導き、客のかずかずと繋ぐ元手である。しかし、また、考えるは、わたしを、客のかずかずから分かちもする。それは、考えるが、わたしを、客のかずかずに対し主として据えつつである。

 

 はたまた、考えるを見てとるにおいて見てとられることですが、およそ、ものは、こと考えるとの重なりにおいてあります。その重なりが欠けるところは、ものの数に入らないところです。(「はたまた」に当たるのはaberであり、もちろん、さきの段にある「はたまた」も同じaberであり、いわば、とりもなおさず、つかみかえし、とらえかえしつつのことばです。たとえばですが「しかし、うまいな」の「しかし」のごとくです。ついでに、その aberは不変化詞に分類されますが、その「しかし」は接続詞、副詞、感動詞のどれに分類されるでしょうか。)

 

 わたしたちは、ものを、さらに見てとり、つかみ、とらえながら、考えをつくりなしていきます。そこから、ものに、より定かに、確かに、手堅く対することができるようになります。(「定める」に当たるのはbestimmen

であり、stimmen 〈調律する、調整する〉からきて、「ぴたりとあわせる」ことです。そして、「定かさ」は「ぴたりと決まっているさま」です。)

 

 さらに、わたしたちは、それなりの考えを、それなりのものに重ねながら、ものと生き生きとつきあい、ものを生かしていくようになります。

 

  その意味においては、主というものも〈考え〉も、客というものも〈考え〉も、ものというもの、〈考え〉という〈考え〉と変わりありません。

 

 そして、見てとる、つかむ、とらえるも、考えをつくりなす、考えを重ねるも、なるほど主のする働きでも、なおかつ、主が考えるの働きかけを受けつつ、考えるの助けによりつつ、考えるの恵みに浴しつつする働きです。(「恵み」に当たるのは Gnadeであり、そもそもは「 (gouttliches) Erbarmen(神の) 憐れみ」の意だそうですが、たとえばまた「神は律法をモーシェを通して与えたが、恵みと真理とはイエス・キリストを通して実現させた(『新約聖書』・ヨハンネスによる福音・講談社学術文庫)」の「恵み」にも当てられることばです。)

 

 よって、また、ものの定かさ、確かさ、手堅さも、さらに、考えのつくり、考えの重なりも、そして、主と客との生きたつきあいも、ただに主によるものではありません。(「考えるへの向きがある」に当たるのは zu denken vermogenで、denken〈考える〉zu〈ことが〉vermogen〈できる〉という言い回しですが、その vermogen〈できる〉が mogen〈好む〉から来ているところから、「向き」という語をあることにしました。もちろん「向かう」との兼ね合いでもあります。)

 

  まとめて、こうです。

 

 もって、考えるは、わたしを、わたしの自己を超えて導き、客のかずかずと繋ぐ元手である。はたまた、考えるは、わたしを、客のかずかずから分かちもする。それは、考えるが、わたしを、客のかずかずに対し主として据えつつである。

 

 そもそも、ことがら(ことのがら)には、分かちと繋ぎがあいまっているものです。そして、分かちにおいてものがきわだち、繋ぎにおいて、ことのかかわりがきわだちます。そして、その分かちと繋ぎは、考えるのなせるわざにほかなりません。

 

 さらに、次の段です。

 

 その上にこそ、人の二重の自然が安らう。人が考え、もって、その人と残りの世を包みこみ、また、人が、きっと、考えるを手だてに、その人を、ものごとに対して立つひとりとして定める。

 

 考えるからものごとが分かたれ、かつ繋がれるとおり、人が考えるをもって、人とものごとを分かち、ものごとと人とを繋ぎます。そして、人とものごとが人の意識のうちにあり、人の意識の上において、考えると見るとが安らいます。逆に、その安らう考えると見るが、人の意識へと下ろされ、とりあわされて、人のする働きとなります。

 

 そもそも、考えるは、大なる自然であり、ものごころとともに降り来たりつつ、ものこごころを導き育み、そして、ものごころが育ち、定かさ、確かさ、手堅さをもちつつ、ひとりの人の意識となり、ひとりの人の意識が、ひとりでする働きをもって、富み、深まり、広がりつつ、考えるの大いさへと迫りゆきます。

 

 そして、見る(安らう見る、もしくはただの見る)については、次の段から詳しく述べられていきます。お楽しみに。

 せっかくですから、「もの」ということばの来し方について、あとすこし考えてみることにします。ここに歴史のひとこまとして、平安から鎌倉にかけての時代は、世に「もののけ」がさまよい、人が「ものいみ」もすれば、また「ものぐるい」もしました。たとえば『枕草子』に、こういう一節(二六七の節)があります。

 

世の中になほいと心憂きものは、人ににくまれんことこそあるべけれ。誰てふ物狂いか、我人にさ思はれんと思はん。・・・

 

 その「物狂い」は、いまでいう「変わり者」に通じるでしょうか。あるいはまた『徒然草』の、おなじみの序にこうあります。

 

つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

 

 その「ものぐるほし」は、いまでいう「おかしな気もち」に通じるかと思います。また「つれづれ」といい、「よしなし」といい、「そこはかとなく(そこはかではないことです)」といい、「あやしう」といい、いずれもなんとはなしの、漠たるありようを言うことばですが、書き手はなんとなく書いているのでなくて、それらのありようをはっきりと識って、しっかりと書きとどめています。いいかえれば、文を意識的に構えています。

 

 そして、人を蔑んで「もの」呼ばわりしはじめたのも、その頃からのことだとあります。さきにあげた古語辞典の項目を続けて引くことにします。

 

「竹取の翁といふものありけり」〈竹取〉。「めざましきものにおとしめそねみ給ふ」〈源氏・桐壺〉⇒この用法では、「わるもの」「痴れもの」「すきもの」「何もの」など、曖昧またはよくないと認められるような人間をいう例が多い。これは平安初期の漢文訓読体にない用法である。

 

 すなわち、そのころ、ものということばは、へんなもの、忌み憚られるもの、そこはかとないもの、とるにたらないもの、いちいちの物を指して使われています。つまり、そのころの人にとって、いちいちの物が、とるにたらなくとも、そこはかとなくとも、忌み憚られながらも、へんてこながらも、ただに物として、もしくは裸で現れるようになりました。たとえば、これもおなじみの『方丈記』の書き出しですが、あらためて読んでみてください。

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。・・・

 

 そのうたかた(泡)の、常ならざる(無常の)趣こそは、そのころの人の見てとりはじめたいちいちの物の趣ないし物体の体でありました。(ついでに「よ」は命と代と世とをいいます。おそらく、その順で意識されてきたのではないでしょうか。)

 

 そして、まさにそのころ、親鸞が「自力」「他力」を説き(「する働き」「働き(かけ)」にあたるでしょうか。)、道元が、『座禅儀』『座禅箴』をものしています。中国の仏書『景徳伝灯録(1004年)』中のこんな問答を下敷きにしながらです。

 

兀々地思量底什麼

思量箇不思量底

不思量底如何思量

非思量

 

 その問答は、ほぼ千年の隔たりを措き、座ると舞うとの違いを除くと、3-cの回に引いた井上親子の対談と同じです。たとえばこう訳してみます。

 

じっと地のような思いて、なんです

かたく思わんことを思てみなはれ

思わんこと、なんで思えますのん

思うのと違うようなるさかいに

 

 地は、もの、ないし物質のおおもとです。兀々は、そのありようで「石などの高くそびえるさま、ひとり寂しいさま、動かぬさま、知覚のないさま」、音はゴツゴツ、コツコツ、訓はシズカ、如何は「神意は何かととう」ことだそうです。かたことの足りないことばで、大きく大それたことを言うようですが、道元も、親鸞も、まさにそのころの人のために、まさに人の意識をすこやかに強めつつ、もの思いを凌ぐことに向けて語りました。うちつづく時代に先駆けて・・・。(なお「兀」はもともと「頭の髪をそりおとした形」で、僧侶の意も含むと思われます。)

 

 さて、時は移り、いまは、もののけが鎮まって、ものが賑わい、人が変わり者を蔑むよりは、「個性」を褒め、「自己意識」を論じ、「自己実現」を目指すようになりました。なるほど、たとえば物言いや物書きをあらためてしてみると、ものぐるほしさにみまわれもしますし、また、ややもすると物狂い呼ばわりされることにもなりますが、それでも、くるほしいのは、もののほうでなく、こころのほうであることを知るようになっています。

 

 そして、『自由の哲学』は、そのような、いまの大人が、ひとりの意識を、まさにひとりで、大いに育むために書かれています。なるほど、読むためには、すこし引きこもって、すこし座ることを要しますが、しかし、そもそもの読みが捗るのは、ものの賑わいのなかであれ、人ひとりがアクティブにこころを起こし、からだをもアクティブに立てて振る舞うことをもってです。