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略伝自由の哲学第四章a−2

 さて、次は、〈考え〉とイデーについて、こうあります。

 

 イデーは、質において、〈考え〉と異ならない。それは、ただ、より内容に満ちた、より中身の詰まった、より包むところに富む〈考え〉である。

 

 イデーということばを、ここまでカタカナのまま、なんのことわりもなしに使ってきましたが、それでひととおりの用が足りていたら幸いです。すこし専門めきますが、そのことばの使われ方には、こういう移り変わりがありました。

 

 理念〔独〕Idee ドイツ語のイデーの訳語。原語のまま用いられる場合もある。元来、プラトンのイデアに由来することばであって、プラトン以来、古代、中世を通して、イデアは、事物の超感性的な原型を意味する言葉と解されてきたが、近世になって、デカルトやイギリス経験論の哲学者たちによって、しだいに「経験」に起源をもつ人間の意識内容、すなわち心理的な「観念」を意味する言葉として用いられるようになり、プラトン的な超越的な意味はとりはらわれた。しかし、カントにはじまるドイツ観念論の哲学者たちは、この言葉のもつプラトン的な原義、とくにその超越的、価値的な意味を回復し、これを現実を動かす形而上的な原理、理想として、重要視するにいたった。このような意味におけるイデーの訳語が理念である。(『哲学事典』平凡社  1992  第23刷)

 

 いかがでしょうか。『自由の哲学』の書き手は、〈考え〉とイデーに、質の上での違いを認めないことにおいては、デカルトをはじめとする、近世の人たちと同じです。また、きっと、いまの多くの人たちとも同じです。つまり、いまの多くの人たちにとって、「〈考え〉Begriff 」も「イデー Idee 」も、「考え Gedanke」であることには変わりありません。(専門用語を用いて言い換えると、「概念」も「理念」も「観念〈idea・アイデア〉」であることには変わりありません。)しかし、書き手は、考えが経験によってかずかずの〈考え〉に分かたれること、〈考え〉が見るに加わるものであることを知っています。その点においては、少なくても、いわゆる経験論者たち、考えが経験によって足し算風に蓄えられるとし、〈考え〉が見るの側から得られるとする人たちとは異なります。

 

 では、カントをはじめとする、いわゆる観念論者たち、イデアリストたちとのかかわりは、いかがでしょうか。だいぶ先取りすることになりますが、しかし、すでにことばの用い方において、ほのめかされてもいますので、少しだけ、ふれておきたいと思います。書き手は、まず、こう言っています。

 

 わたしは、きっと、ここ、この場において、このことが認められることに、ことさらな値いを置かなければならない。すなわち、わたしが、わたしの起点として、考えるを引き立てたことであり、〈考え〉とイデーをではないことである。それらは、まず考えるを通して得られる。

 

 「認められる」とありますが、裏を返せば、「認める」のは、人にほかなりません。そして、これも、さきの章に言うとおりですが、考えるを見ることは、どの人も、しようとさえすれば、できることです(3−d)。すなわち、重きは、人が、考えるを見ることを、しようとしてし、して認め、認めて引き立てることに置かれています。(「認める」に当たるのは beachten であり、beobachten〈見る〉に重なり、beobachten〈見る〉の、いわば嵩じたかたちです。ついでに、「みとめる」は「見止める」だそうです。また「引き立てる」に当たるのは bezeichnen であり、Zeichen 〈印〉から来て、いわば「記す」「描く」「それとして言う」といった意です。)

 

 書き手は、続けてこう言っています。

 

 それらは、すでに考えるを先に置く。よって、わたしが、それそのことにおいて安らい、なにによっても定められてはいない、考えるの自然について言うところは、一重にたやすくは〈考え〉の上へと引き移すことができない。

 

 考えるを見るは、一重に考えるをもって賄われます。ほかのなにからも定めを受けません。それに引き換え、いちいちの〈考え〉は、いちいちの対象をもち、いちいちの対象によって定まっています。そして、人は、そのあいだをとりもつものです。そのとりもちは、人のなりたちに基づきます。そのなりたちは、すでに見てきたとおり、幾重でもあります。二重、ないし三重、ないし七重・・・。というよりも、むしろ、一重のなりたちをした者ではないのが、人です(二の章)。すなわち、考えると〈考え〉のあいだのとりもちは、一重でもなく、たやすくもありません。つまり、幾重にも、盛んに、する働きを要します。(「一重にたやすく」に当たるのは einfach  であり、ein 〈ひとつの〉 fach 〈仕切り〉というつくりで、「単一」「平易」の意です。)

 

 そして、書き手は、こう、カッコ付きで加えています。

 

 (わたしは、そのことを、ここに認めて表す。ここに、わたしとヘーゲルの違いがあるからである。かれは、〈考え〉を、はじめのもの、そもそものみなもとであるものとして据える。)

 

 カントから(1724-1804) ヘーゲル(1770-1831) にかけて繰り出されるドイツ観念論 (deutscherIdealismus)は、ドイツ理想主義とも訳されます。それは、すなわち、考えにそれなりの価値を見いだすことによって、人が人であることに、そのこととしての意味を見いだす論でした。しかし、そこにいうところの観念(Idea)ないし理想(Ideal) は、いちいちの〈考え〉(Begriff) として、なにがしかの定めをもつものであり、その定めが、一重に、たやすく、いわば独り歩きをすることによって、人を縛ることにもなります。つまり、かれらが引き立てる理想には、どこかしら、人になになにをすべしと迫るところがあります。(十一の章には、「歴史は人が自由になりゆく歩みである」という旨のヘーゲルのことばさえ、そうであるとして引かれています。)

 

 かたや、『自由の哲学』の書き手は、考えるを見ることを、まさに人のすることとして引き立てます。そして、それぞれの人が、それをすることによって、考えを新たに定めつつ、考えに新たな意味を付け加えていくことを、望みつつ待ちます。といっても、書き手はヘーゲルその人をけなしているわけではありません。それどころか、ほかの場においては‐のちのち、おりにふれては‐その人を大いに引き立ててもいます。その人が、それとことわりなくであれ、まさに考えるを見るから、すなわち、幾重にも、盛んな、する働きをもって、論を立てている故にです。「ここに、認めて表す」とありますが、その「ここ」には、そうした含みもあるはずです。(また「認める」に当たるのは bemerken であり、aufmerksam machen 〈気づかせる〉の aufmerksam〈気づき〉に重なり、いわばその嵩じたかたちであり、「それと認める」「認めて言う」「書き留める」といった意です。ついでに、「認」の字にしても、「みとめる」および「したためる」と訓じられてきました。そして、こうしたことばのつくり、ないしなりたちも、まさに「人をして、人が考えのかずかずをもつことに気づかせることができる」ものです。)

 

 そして、次の段です。あらためて掲げることにします。

 

 〈考え〉は、見るからは得られない。そのことは、はや、こういうことのありようから出てくる。育ちつつの人が、永きにおよび、ゆったりと、まず周りの対象のかずかずに向けて〈考え〉のかずかずをつくりなす。〈考え〉のかずかずは、見るに向けて、付け加えられる。

 

 育ちつつの人というのは、まず、子どものことです。(また「得る」に当たるのは gewinnen であり、winnen(winnan)〈勝つ〉から来て、「勝ち取る」「手に入れる」の意です。)

 

 そして、大人も、また、育ちつつの人です。言い換えれば、さらに人となりつつであります。そして、ライオンは、どのライオンもライオンの中のライオン一匹ですが、人は、人となりが人それぞれです。考えをとり、つかみ、とらえる、そのとりよう、つかみよう、とらえよう、つまりは考えると見るをとりなす、そのとりなしようが人それぞれです。

 

 すなわち、人は、大人になるにおよんで、ひとたびつくりなした〈考え〉を、操り、いじり、つぎはぎするのみではなく、つくりなおしもします。そのつくりなおしは、さらに永きにわたり、ゆったりと捗ります。ただ、そのつくりなおしを、そのつどのなりゆきに迫られてするか、つねづねにしようとしてするかには、大きな違いがあります。

 

 そして、右に見てとるとおり、さらにさらに永きにわたり、ゆったりと、時代の移り行きにおいて、人が考えをとらえる、そのとらえようも移り変わります。

 

 かなり先走ってしまいましたが、そのことが、これから、永きにわたり、ゆったりと、見てとられてゆくことになります。