· 

略伝自由の哲学第三章d−1

 しかし、考えるを見る技量をもつ、どの人にとっても −そして、よき意欲のもとにおいては、ノーマルななりたちをした、どの人も、その技量をもつ− その見るが、当の人のなしうる見るのうち、もっとも重きをなす見るである。そもそも、その人が、その人の生みだすところを、見る。その人が、さしあたりよそよそしい対象とでなく、まさにその人のする働きと対しあうのを、視る。その人が、その人の見るところの、いかに立つようになるかを、識る。その人が、ありようとかかわりを、見とおす。そこに、ひとつの、しっかりとした点が儲けられている。すなわち、その点からは、人が、基のある望みをもって、残りの世の現象の説き明しを、探ることができる。

 

 この回は、三の章の十八の段からですが、まず、これまでのことを振り返ります。

 考えるは、わたしたちのつねづねの見るには見られない働きです。すなわち、わたしたちは、考えるを、まさに考えるを見るという、いわば例外の、気高い見るによって見てとります(六から十二の段)。

 また、考えるは、まさにわたしたちのする働きです。よって、わたしたちは、考えるを、他のことということよりも、じかに、親しく知ります。明るく見とおします。

 また、考えるは、わたしたちの生みだす働きです。よって、わたしたちは、考えるを、まさに見ようと欲すればこそ見てとります。つまり、その欲するは、まさにわたしの欲するです(十三から十七の段)。

 さらに、それらのこととともに、わたしたちのなりたちのことがありました。 

 わたしたちのなりたちは、わたしたちが見るに要するところであり、また、見るに要して、さらになりたたせるところです(六から十二の段)。

 そして、わたしが考えるを見るに要するのは、紛れなく精神のなりたちです。すなわち、さきのことの繰り返しになりますが、考えるを見るは、ただにわたしのする精神の働きであり、ただにわたしがなりたたせる精神の働きのなりたちであり、わたしのこころ(知っていること)にも、わたしのからだにも、なんら左右されません。もしくは、なんら依りかかっていません(十三から十七の段)。

 そして、いよいよ十八の段です。わたしたちは、その、紛れのない精神のなりたちを、ノーマルななりたちにおいても、いささかなり、もってはいないでしょうか。

 言い換えれば、わたしたちは、考えるを見ようとするこころを、つねづねにおいても、多かれ少なかれ、起こしてはいないでしょうか。

 いったい、わたしはわたしですといい、わたしにも考えがありますとった、どこか侵しがたいものいい、おうおうにして、それを言っちゃ、おしまいだよ、というようにしか扱ってもらえないものいいにしても、どこからなされるているでしょうか。

 そもそも、わたしたちは、考えるを見るという、紛れのない精神のなりたちと、ノーマルななりたちとの重なりにおいて、考えるを見る技量をもちます。(「技量」に当たるのはFahigkeitであり、fahig〈できる〉から来て、才覚、技能、手腕などのことです。すなわち、いうところの技量は、みずからの身についた、わたしの精神のなりたちです。そして、わたしがみずからを見るかぎり、技量という技量がそのようななりたちをしています。なお、そのことについて、詳しくは八の章から取り上げられます。)

 そして、考えるを見るという、紛れのない精神のなりたちを、まさにそれとして立てつつ、それをみずからへと引き寄せ、重ね合わせることの意味、言い換えれば、よき意欲を起こし、考えるを見る技量を発揮することの意味が、こう述べられます。

 まず、「その人が、その人の生みだすところを、見」ます。それは、紛れなく精神において生きつつです。そして、そもそも、意味という意味が、そこから出てきます。

 さらに「その人が、さしあたりよそよそしい対象とでなく、その人のする働きと対しあうのを、視」ます。それは、生きたこころ(考えや思い)との重なりにおいてです。よって、その人が、その人から、こころの向きを定めることができます。いわゆる自律です。(「視る」に当たるのはsehen であり、すでに先の回においてふれたとおり、「見てとる」ないし「見て分かる」ことを指しましょう。「目」は、見る器官ないしなりたちの代表であるにすぎません。)

 さらに「その人が、ありようとかかわりを、見とおし」ます。それは、感官を通して迎えられる周りの世との重なりにおいてです。よってその人が、その人から、ものごとを立てることができます。いわゆる見識です。(「見とおす」に当たるのはdurchschauen であり、<durch〈通して〉schauen〈観る〉というつくりです。なお、schauen 〈観る〉は、これまた先の回においてふれたとおり、「広やかに見る」ことです。)

 なるほど、わたしたちは、ノーマルななりたちとして、知、情、意という、こころの三重のなりたちをもち(二の章)、また、それとの重なりにおいて、いわば、おのずからながら、精神と、こころと、からだという、人の三重のなりたちをもち、さらにまた、つねづねに生きるにおいて、いわば、いつのまにか、自律と、自立と、見識とを、多かれ少なかれ得ています。しかし、そのことの意味は、考えるを見るという、紛れのない精神のなりたちを、まさに紛れなく立てずには、得られません。よって、また、自律と、自立と、見識とをアクテイプに得ようとする意欲を、まさにわたしから起こすことも、できません。よって、さらにまた、確かに問うことをするかわりに、疑いにさ心苛まれることにもなります。

 その意味において、考えるを見るは、もっとも重ききをなす見るです。その見るは、視る、識る、見とおすの要であり、意味という意味のみなもとであり、そもそもにおいてわたしがわたしにおいて安らうの要です。そして、その要、ひとつの、しっかりとした点は、わたしの生みだす点として、まさにわたしの意のままに、どこにでも設けることのできる点であり、そして、その点から及ぶ意味、その点から広がる望みが、パ一スペクテイプ(展望、構図、さらには遠近法) と言われましょう。

 さて、その意味において、人が、考えるを見るようになったのは、つまり、考えるを見ることを、まさにこととして立てるようになったのは、そう古いことではありません。たとえば、前々回において、世阿弥、芭蕉、蕪村、宣長のことにふれましたが、ことにヨーロッパのこととしては、絵画において、遠近法という、新たなパ一スペクティプが使われるようになったのと同じく、哲学において、近代哲学という、新たなパ一スペクテイブが開かれるようになりました。そのパ一スペクテイプが、まさにそのものとして、ルネ・デカルト(1596-1650) の著述にあらわです。

 

 ひとつの、そのようにしつかりとした点をもつとの情が、近代哲学の基を据えた者を、こう促している。すなわち、レナートゥス・カルテシウスが、人の識ることのまるごとを、この文、わたしが考える、よって、わたしがある、ということに基づかせた。他のものというもの、他のことということは、わたしをさしおいて、ある。わたしは、それらが、まこととしてあるのか、まやかしや夢としてあるのかを、識らない。わたしが、だだひとつ、まったくの無条件で確かに識るのは、そもそも、わたしが、それをそう確かにあるまでにもたらすゆえにだが、わたしの考えるである。それが、さらに異なるみなもとをもとうとも、それが、神から来ようと、なにから来ようとも、それがあるのは、わたしが生みだすという意味においてであることが、わたしには確かである。さらに異なる意味を件の文の基に据えるべきいわれは、カルテシウスにとって、まずは、いささかもなかった。ただただ、わたしが、わたしを、世の内容のうちに、わたしの考えるにおいて、すなわち、まさにわたしのする働きにおいて、つかむということだけを、かれは言い立てた。それに繋げられるところ、すなわち、よって、わたしがある、ということが、なにごとを言っているかについては、多くの論が戦わされてきた。しかし、それが、ひとつの意味をもちうるのは、ただひとつの条件のもとにおいてである。ひとつのものについて、わたしが言いうる、もっとも単純なことは、それがある、それが存在するということである。そして、そのあるということを、いかようにして、さらに詳しく定めることができるかは、わたしの生きる地平に立ち現れる、なにものについても、すぐさま立ちどころには言うことができない。どの対象も、まずは、他とかかわるありようにおいて、探られることになる。そうしてこそ、いかなる意味において、それがあると言えるのかを、定めることができる。ひとつの生きられたことが、もろもろの覚えの集まりでもありうるし、はたまた夢でもありうるし、幻覚でもありうるし。とにかく、わたしは、それがいかなる意味において存在するのかを、言うことができない。その意味を、わたしは、当のことそのことからは引き取ることができない。わたしが、その意味を経験するようになるのは、そのことを、他のものごととかかわるありようにおいて、見てとるときである。しかし、それでもまた、わたしが識りうるのは、そのことが、いかに、他のものごととかかわるありようにおいて立つかということ以上ではない。わたしの探るが、いよいよ、ひとつのしっかりとした基の上へと至るのは、わたしが、客のあることの意味を、その客のそのものから汲みだせるような、ひとつの客を、見いだすときである。そういう客であるのは、しかし、考えつつの者としての、わたしそのものである。そもそも、わたしは、わたしのあるに、それそのことにおいて安らう内容、すなわち、考えつつのする働きを与える。さて、わたしは、そこから外へと出て、こう問うことができる。他のものごとが存在するのは、それと同じ意味においてか、違った意味においてか。

 

 そもそも、よき意欲との重なりにおいては、情も、また、よき情として起こります。すなわち、デカルトは、わたしが考える、よって、わたしがあるということばを、考えるを見るという、紛れのない精神のなりたちから湧きおこる、ういういしく、みずみずしい情をもって語っています。いや、むしろ、そうであるからこそ、そのことばが精彩を放ちます。そして、そこから、かれは、考えつつの者であるかれその人の他の、ありとあらゆる、疑いうるものごと、つまり、さしあたりはよそよそしく見える、ものごとのすべてを、確かに、親しく見てとることができるとのパ一スペクテイブを得て、ものごとのひとつひとつを探りはじめます。

 ちなみに、デカルトのことばについて、パスカルがこう言っているそうです(「パンセおよび小論文」、落合太郎訳「方法序説」の訳注から、孫引きします)。

 

 かれがその主張したとおりに成しとげたかどうかをよくは検べていないけれど、私はかれが成しとげたものと想定する。この想定にもとづいて私はあえていう、同じただの一語でも、かれの書いたものに見るのと他の人人がそれを通りすがりに口にしたのとではその相違が大きすぎる。生命と力に満ちた人間を死んだ人間に比べるようなものである。

 

 また、レナートゥス・カルテシウスというのは、ルネ・デカルトのラテン名です。かれは、みずからの本、いわゆる「方法序説」において、みずからの考えを語るのに、いわば、かれにとって最も親しいことばである、フランス語を用いました。それは「全く単純な生得の理性のみを活用する人人」に向けてであるとともに、また、まさにみずからの考えを、ういういしさ、みずみずしさをもって語ろうとするところからでもあるでしょう。いうところの序(discours)は、論ないし教え(traite) に対する、いわば語りのことであり、いうところの方法は、「著者の理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を求めるための」です。そして、その方法の語りが、そのころの知識人たちにも読んでもらうために、かれらの公用語であるラテン語に訳されました。つまり、いわば、かつてのギリシャ・ラテン文化の栄光を引きずりながら、そのころの人たちの暮らしから遠く隔たるようになっていた、ヨーロッパの学識者たちに向けてです。そして、なによりも、このことば、いわば、そもそもの要の文は、いかがでしょうか。フランス語においてje pense,donc je suis、ラテン語においてcogito, ergo sumないし ego cogito, ergo sum, sive existoと訳され、さらに、たとえばドイツ語において ich denke, also bin ich、日本語において、私は考える、それ故に私はある、と訳されてあることばです。それらのことばは、何語で読んだとしても、読み手にとって、まずもってのところ、ただなる考えを、表すというよりも、指していることばではないでしょうか。言い換えれば、まずは、そのただなる考えに、見る目を向けて欲しいと言っていることばではないでしょうか。

 すなわち、デカルトの本「方法序説」においては、書き手とともに、読み手がものをいいます。読む人が、まずは、ただなる考えに目を向け、そして、そこから、みずからを、ういういしく、みずみずしく起こすことになります。まさに読む人が、する働きをすればこそ、いわば下から上への道を行き、そして、上から下への道を生みだせばこそ、そもそもの読みが捗ります。そして、ここに「自由の哲学」は、「方法の語り」であるのはもとより、「語りの方法」そのものでもありえます。すなわち、考えるを見るにおいて、わたしがわたしと語らいつつ、精神を見てとり、それとの重なりにおいて、わたしがわたしのこころと語らいつつ、こころを見てとり、わたしがわたしのからだと語らいつつ、からだを見てとり、さらには、わたしがものごとと語らいつつ、ものごとを見てとります。そして、そのことを通して、わたしが、精神と、こころと、からだと、ものごとを、明らかに、確かに、いきいきと起こすようになります。その語ると見るの方法から、je pense,dooc je suis は、はっきりと、こう訳し変えることができます。

 

 わたしが考えるを見る、そこから、わたしが明らかにありはじめる。

 

 ちなみに、日本語として、通例、「思惟」と訳されるpense もしくはcogito は、「見る」をひそかに含んでいます。たとえば、落合太郎は、こう言っています。

 

 デカルトの思惟(penser,cogitatio)は、そのものを直接的に意識するという仕方で、私どものうちにあるもの一切である。この意味で思惟は意識(conscientia)および知覚(perceptio)と同義であると解せられる。要するに意識作用のすべてである。

 

 すなわち「直接的に意識する」というのは、わたしたちが、考えると見るを取り合わせつつすることです。言い換えれば、わたしが、わたしのなりたちと語らいつつすることです。わたしたちは、その取り合わせ、その語らいを、いわば上から下へと、いく重にもわたって、することができます。すなわち、知に重ね、情に重ね、意に重ねつつ、こころの三重のなりたちにわたって、または、精神に重ね、こころに重ね、からだに重ねつつ、人の三重のなりたちにわたってです。そもそものこと、わたしたちは「考えるをも見るから識り」ます。すなわち、最も上の、知の織りなしにおいて、または、精神の明るみにおいてです。

 また、その意味において、近代の哲学はもとより、現代の哲学はなおさらですが、おおもとにおいて、もしくは、つまるところにおいて、新たなことばを身につけることよりも、身についていることばを新たにとらえることを、新しいことばを作りだしたり、もてはやすしたりすることよりも、ありあわせのことば、ありきたりのことばを、鍛えなおすことを求めるものでもあります。

 ついでですから、このことにもふれておきたいと思います。人が、そもそも考えるを見るようになるのは、憶いそめるころ、座ろうとして座ることをしはじめるころです。もちろん、考えるを見ることを、まさにこととして立てるようになるのは、後々になってからのことですが。

 ちなみに、たとえばジャン・パウル(1763-1825)の自伝に、こうあります。

 

 わたしは忘れない。これまで人に語りはしなかった、わたしにおける現れ、わたしがわたしのおのれの意識の生まれるに立ち会ったことを。その時と所を、わたしは知っている。ある朝、ほんに幼いわたしが家の戸口のところに立ち、左手に薪が積んであるのを視ていた時、内の視覚、わたしがひとつの〈わたし〉であることが、稲妻のように天からわたしを見舞い、その時から照らしつつ留まった。その時、はじめて、わたしの〈わたし〉がわたしの〈わたし〉を視た。しかも、とわに。ここに憶い違いがあるとは考えがたい。余所からの話が紛れ込んで飾り立てたとかはあるまい。ただに人の、ヴェールのかかる、いたって聖いところに、にわかに生じたことであり、ひとえにその真新しさが、日頃の余事に、留まることを与えた。