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略伝自由の哲学第二章①

 はじめの章を受けて、この二つ目の章は「知識もといへの基のもよおし」と題されます。そして題のとおり、この章でのことは、問い、学び、知るということを促す基へと降りてみることであり、そのことをもって、考えるということのみなもとへと遡ってみることです。

 人は、知ろうとし、考えようとします。知ろうとするも、考えようとするも、人のする働きであり、広い意味では振る舞いですが、その振る舞いおもむきの基は、いかなる趣でしょうか。

 いや、べつだん考えようなどとはしないという人、ことさら知ろうなどとは思わないという人があるかもしれませんが、それでもかまいません。むしろ、そのほうがかえっていいくらいです。なにしろ、その人が、そう言えるのも、そう知っているからであり、そう考えるところからです。まさにその基は、いかがでしょうか。(「基のもよおし」に当たるドイツ語はGrundtrieb です。Grundについては、すでにふれました。Trieb は、treiben〈駆る〉から来て、外に萌えいづる「新芽」や「若枝」、および内に萌す「むらむら」や「じわじわ」の働きを指します。それは、わたしたちが「もって基とする」まえに、わたしたちにとって「おのずからある」もしくは「与えられてある」ところ、すなわち所与であり、その意味において、生命現象であり、自然に属します。)